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【連載】新任さんいらっしゃい 法学・松田浩道先生 前半

 ——春学期のGE(一般教育科目)はJ開講(日本語開講)でしたが、プレゼン・レポート・ディスカッションが英語ということで、受講した学生からの意見は様々だったかと思います。そういう方式を採用した経緯について、お聞かせいただけますか?

昨年の憲法Iでも同じように英語によるプレゼンテーションを行ったのですが、その時は最後まで不満を持った方がいました。学内で公開されている授業効果評価(TES)のComments by Instructorにおいて、言語の問題について受講生と私の間で面白いやり取りが行われているのを読んでいただくことができます。今年春学期の授業では、初回に「なぜレポートが英語なのか」、「E開講にすれば良いではないか」と質問をいただいたので、授業の最初の方に時間を取って説明することができました。「英語モノリンガル化が急速に進行しつつある世界において日本語をはじめとする貴重な文化の多様性を守るためには、日本の文化・思想・法制度について英語で正確に説明できる人材が必要である。これを本気で目指せるのは、世界中でICUだけである」と説明したところ、多くの受講生は納得して取り組んでくれたようでした。

ICUには、日本を世界へ説明する / Explaining Japan to the Worldという使命があります。海外の人たちが日本語を読んでくれたらいいですし、本来はそうあるべきなのですが、あいにく日本語を使いこなせるnon-Japaneseの方々はごく少数です。そうした現実のなか、ICUでバイリンガル教育を受けた人材がきちんと日本語で調べ、それを英語で正確に説明することが非常に大切なのです。

現在の世界では極端な英語一辺倒が進行しています。それを「西洋中心主義」や「英語帝国主義」といって問題提起する人もいますが、そのような問題提起を日本語で行ってもあまり意味がありません。日本語で問題提起しても、世界のほとんどの人は読めないからです。英語帝国主義批判を日本語で行っても、世界が英語一辺倒になっていく事態を止められない。ここに、「英語帝国主義」批判は英語で行う必要がある、という逆説があります。

日本の文化、考え方、そして法制度は非常に豊かな普遍的価値を有しています。私は高校生の頃から岩井克人先生(現在・国際基督教大学特別招聘教授)のエッセイを愛読しているのですが、岩井先生や、岩井先生の配偶者でいらっしゃる小説家・水村美苗さんの本を読むとそうした問題が鋭く分析されています。例えば、水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』(2008)をぜひ読んでみてください。

さらに掘り下げると、西洋中心の世界において、日本で社会科学研究を行うことの意味は何なのでしょうか。これは明治以来、日本がずっと抱えているとても難しい問題です。日本は学術研究のメインストリームではなく、世界の辺境に位置するという感覚をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、事態はそれほど単純ではありません。日本は、非西洋文明として初めて西洋文明に対峙したきわめて重要な歴史を有しているのです。

明治日本は、西洋文明を取り入れる形で急速な近代化を行いました。西洋に学んで明治憲法を制定し、少なくとも形の上では立憲主義的な国家を作りあげたのです。「富国強兵」のもと急速に軍事力を強化した日本は、西洋列強に肩を並べる世界の一等国に躍り出ます。しかしその後、軍国主義化した日本はアジア諸国を侵略し、甚大な被害と深い傷を国内外に残し、亡んでしまいます。そこから戦後日本を新しく建てなおしてゆく壮大な歴史的プロジェクトの中核に、日本国憲法とICUとを位置づけることが可能です。

日本が西洋と対峙するなかで経験してきた大成功と大失敗の歴史は、世界史上もっとも興味深い出来事のひとつです。現在の世界には依然として「西洋・非西洋」、あるいは「英語・それ以外」という対立軸があり、英語を母語としない世界の大多数の人々は、事実上英語で話すことを強いられています。こういった問題意識を持って、夏目漱石、森鷗外、福沢諭吉、新渡戸稲造 ……といった人たちが当時の日本で何を考えていたのかを学ぶことは、とても大切だと思います。西洋と対峙した日本の歴史と、そこから学びとるべき教訓を正確に英語で説明するということは、これからの世界にとって極めて重要な普遍的価値を持っているのです。

このような考え方に基づき、私の授業では「日本語で学び、英語で表現する」日英翻訳の作業を取り入れています。法制度の日英翻訳は専門家でも頭を悩ませるようなきわめて高度な技術であり、日本法の概念に対応する英訳がいまだ存在しないことも頻繁にありますから、ICU以外でこのような授業はまず成立しません。逆に言うと、ICUで学ぶトップ・グローバルエリートの皆さんには、日英翻訳というきわめて困難な課題に率先して取り組む使命があります。ということで、この方針は来学期の授業でも強化し、今年の憲法Iでも、日本語で授業をした上で、英語のプレゼンテーションやエッセイを課す予定です。

あわせて、来学期以降の授業では、四月入学生と九月入学生・留学生が混ざる環境を作りたいと思っています。「J(日本語)開講」表記のため、春学期の「一般教育 日本国憲法」の受講生は四月入学生が圧倒的多数でした。これでは国際的な環境とはいえません。次の学期は受講生の半分が九月入学生や留学生、もう半分が四月入学生という感じでバランスの良いクラス編成を目指したいと思います。九月入学生や留学生の方には特に漢字が難しいと聞いていますので、なるべく無理なく履修できるように工夫したいと思っています。

 

——それは登録上はJ開講ですか?

私は「J→E」や「J/E」等にしたいのです。しかし、大学のルール変更により、JかEか選ばないといけないことになりました。「J開講」と表示されているだけで九月入学生・留学生はシラバスの中身を一切読まないというのが実情と聞いて、非常に困っています。

シラバスの冒頭に「Although this course is a “J” course, the contents are bilingual. September and international students are most welcome./J開講表示ですが,内容は日英バイリンガルです。9月生や留学生を歓迎します。」と書いたり、あるいは実際に九月入学生や留学生の方に来てもらって口コミで広げてもらったり、等の対応を考えています。

 

——一部のE開講(英語開講)の先生方は日本語ウェルカムな感じで授業をしておられますよね。

 

言語をめぐる状況は分野ごとに大きく異なりますから、一概に評価することはできません。しかし日本の国内法科目についていえば、「E開講」表示への変更はかなり慎重に検討すべき重大な問題を含みます。第一に、「E開講」表示は「英語で学べば国際化」という誤ったメッセージをICU生に送る危険があります。「何でも英語」という安易な発想は、国際機関において主流のmultilingualism/pluriligualism(多言語/複言語主義)という考え方にも反しており、厳に避けるべきです。第二に、外国語が難しいからといって適当に言語を混ぜて説明するのは、語学学習の観点からみて問題があります。語学の習得のためには、多少わからなくても必死で外国語の環境に浸かることが大切だからです。したがって、日本の国内法科目においては、日本語の学術文献を読み、日本語だけで法的議論の組み立て方を学ぶ時間を十分に確保する必要があります。

法制度は言語と密接に結びついていますから、日本の法制度を学ぶ上で日本語はどうしても欠かせません。法概念は容易に翻訳できるものではありませんから、正確に理解するには日本語の条文・判例・学説を日本語で丁寧に読む必要があります。私の授業では、日本法の概念を日本語で正確に理解することを前提に、それに加えて日英翻訳を訓練するわけですから、「E開講」ではなく「J→E開講」等の表記が必要で、それが無理なら「J開講」を維持すべきだと考えます。

 

ICU生の英語は比較的よくできますが、その反面、日本語で学術的な文章を書けないとすると、特に日本語を母国語とする学生にとって非常に深刻な事態です。母国語で学術的な文献を読み書きできることは、外国語以前に、もっとも大切なことだからです。

 

なお、海外での生活経験が長い学生を主たる対象としてIntroduction to Japanese Law等のE開講科目を新設することは有益だと思いますし、私もぜひ担当してみたいと思っています。しかし、それは高度な法解釈論を扱う日本法科目に代わるものではあり得ません。「数学を苦手とする人のための数式なしの数学入門」と同様、「日本語を苦手とする人のための英語による日本法入門」は、裾野を広げるためにとても大切ですが、専門科目とは完全に趣旨が異なる授業であって、学術水準は必ず低下します。導入科目を充実させることは大切ですが、それとは別に専門科目の学術水準はしっかりと維持しなければなりません。「リベラルアーツ」は、確固たる専門性の基盤の上にはじめて成り立つからです。

 

仮に日英翻訳の問題をすべて省略し、既製品の英訳を用いて英語モノリンガル授業をするのなら、はるかに手間は省けます。日英バイリンガルの理念のもと、日本語文献を引用しつつ書かれた英語のレポートをすべて添削し、翻訳の問題も含めてコメントして返却するのは、私にとっても非常に時間がかかる作業なのです。しかし、日本のことを日本語で学び、英語で表現する力はこれからの世界にとってとても大切であり、これを真剣に目指せるのは世界にICUしかありませんから、どれだけ手間がかかったとしても、私は日英翻訳の要素を取り入れた日本語の授業を真摯に追究したいと思っています。学術水準を落とし、複言語への挑戦を放棄した「E開講」の増加がICUの目指すべき「国際性」でないことは明らかです。

 

他方において、法学メジャーに「E開講」が少ないのは確かに深刻な問題だと思っています。そのため、non-Japaneseの先生に来ていただいて「アメリカ法」「ヨーロッパ法」等の外国法講座を担当してもらえるよう、一生懸命努力しているところです。将来的には、「イスラム法」「中国法」「韓国法」なども充実させ、本当の意味での国際性を追求すべきだと考えます。

 

——実際に受講した感想としては結構GEの日本国憲法はハードルが高く、中間レポートも出来が良くなかったなあと思ったんですけど……

 

私の印象としては、全体的に見て、英語のエッセイは良く書けていると思います。他大学では、多数の学生が英語ではほぼ何も書けないのが現状ですから、ICUの語学教育は間違いなく全国トップレベルといってよいでしょう。英語については、ELAの授業にしっかりと取り組んだ上で、自信を持ってとにかく数をこなすと良いでしょう。

 

むしろ、ICU生は日本語あるいはそれ以外の言語で学術的な文章を書く訓練をもっと意識的に行った方が良いと思います。世界に英語を使える人はいくらでもいますから、英語だけでは特に付加価値はありません。英語圏に生まれた人はみな英語を話しますが、だからといって全員が国際的に活躍できるわけではありません。英語中心の狭い視点に陥らずに世界を複数の仕方でバランス良く認識するためには、どこに生まれたかにかかわらず、すべての人が本気で外国語を学ぶ必要があります。

この点、非英語圏に生まれた人たちには英語学習への動機付けが強く働きますから、バイリンガルを目指す上で、英語圏に生まれた人たちに比べてはるかに恵まれた環境にあるという見方もできます。しかも日本語はヨーロッパ言語とは全く異なる文法構造を持ちますから、この世界を複眼的に認識するためには、ヨーロッパ言語内部のバイリンガル(英仏独など)に比べて「日英バイリンガル」は圧倒的に高い価値を持つのです。水村美苗さんの本を読みながら、夏目漱石を日本語で読めることの価値について、ぜひじっくり考えてみてください。さらに進んで、ICU生の皆さんは日英バイリンガル+1以上の複言語を本気で目指してみてください。複数の言語を使いこなせるようになるのは、これからの世界にとって本当に大切なことなのです。

 

——GEの授業では、北中先生をお呼びして、法学の問題をキリスト教の観点からみんなで議論した際は、私の周辺の学生からは好評でした。これからもそうした企画はありますか。

 

これは受講生から「同性婚の問題を扱っていただくことはできますか」とコメントシートで提案いただいたので、その要望に応える形で実現したものです。今後も、ICU生の皆さんの要望には、できる限りお応えしていきたいと思います。北中晶子先生と一緒に授業ができたのは本当に楽しかったです。オルバーグ先生も来てくださって、様々な観点から議論ができたのはとても良かったと思います。ご協力いただいた先生方に感謝です。

 

——実際の学生からの反響はどうでしたか?

 

コメントシートを見ると、楽しんでいただけた方がとても多かったという印象です。同時に、ICUではリベラルな意見の方が圧倒的多数ですので、異なる意見を持つ方が発言しづらかったのではないかな、という点は気になったところで、次の授業では「リベラル」を自称する人たちが無自覚の不寛容に陥るliberal intoleranceの問題性にも言及しておきました。ICUでも、ときおりみられる現象です。

 

後半へ続く