21年6月ICU世論調査(学内問題編)

 Weekly GIANTS Co.は、2021年6月上旬から中旬にかけて、政治・社会問題や学内の問題に関する学内世論調査を行った。本記事では、学内問題に関する設問の回答結果を公表する。政治・社会問題に関する調査結果は7月7日の記事で公開済み。【道葉子・西尾陸・四日市光太郎】

〈調査方法〉
 Twitter、LINEなどのSNS上および、大学構内(対面)で行った。Google formを利用し、ICUのメールアドレスを持つ学生のみが回答できる方式をとった。SNS上で220人、対面で18人の計238人から回答を得た。回答者のIDは、25が54人、24が71人、23が51人、22が47人、21が10人、20以上が1人だった。性自認は、男性が75人、女性が150人、その他が7人、無回答が6人だった。
 また、学内問題のパートでは任意でコメントを書き込むことができる自由記述欄を設けた。ここでは、寄せられたコメントの中から、主だったものや面白い視点が見られるものを選び出し、掲載する。

調査結果

「今後ワクチン普及次第速やかに対面にすべき。学校設備、コミュニティの提供、教員との接触のしやすさ等オンライン授業による損失は(大学がオンラインなりにその損失を最小化しようと試みていることは間違いないし評価するが、それでも)はかり知れない。」

「講義形式の一方的な授業はオンラインでも大丈夫ですが、ディスカッションなどを取り入れたものは対面がふさわしいと思います。クリエイティブは思いもしなかった何気ないことから生まれますが、それはオンラインでは実現できません。要するに、知識の吸収を必要とする場面ではオンライン、それを活用する場面では対面がいいと思います。」

「コロナが仮にこの世からなくなり、元の世の中になってもオンライン授業は残すべき。インフルエンザや心の病、親族の不幸といった際にもオンラインなら対応できたり、復習が出来るため。」

「講義は実技以外はオンラインにして欲しい。オフラインの時期に精神的に辛い時があったが、外に出ることが辛くて不登校になった。オンライン授業でも精神的に辛いが、講義には出られている。」

「一限の授業だけだったらオンラインが良いが、ごろちは対面が良いと感じる」

「(オンライン活用に賛成の立場から)冬場の哲学系567の教室が休憩時間にタバコを吸いに行った人の残り香で最悪の空気になったりするのを回避できるから」

「トイレで異性と遭遇することにかなり戸惑いがあるので積極的には使わない。ただ、ジェンダーマイノリティの方が感じる精神的負担を考えれば、必要な設備だと思う。」

「大学内のトイレの全部が全部オールジェンダーになった訳では無いので、セクシュアルマイノリティ以外の方が気まずいと言うのはお門違いだと思う。満足不満足は私達マジョリティが考えている気まずいよりはるか長く苦しんできた(のかもしれない)セクシュアルマイノリティの方達に聞くべきだと思う。」

「トランスジェンダー当事者として望ましい方向性だと思っている。不安に対してある程度の配慮は必要だと思うが、根本的にはinternalizedされたbigotryであると思っているので、あくまで啓蒙的な方向性が望ましいと思う。」

「大学としてオールジェンダートイレを設置したことが、在校生や未来の入学者を含む学生や、ICUに勤める職員たちにとって、賛否両論含めてジェンダーについて考えられる機会ができたという意味で重要だと思う。例えばその効用として、あるサークルでは合宿参加のアンケートを部屋割りのために男女分けて集計していたがその二元論をやめ、男女別を希望する人にはもちろん配慮しつつ柔軟な形で集計するという方針に変えた、という事例があった。」

「満足出来てるのはある程度男女に別れているから、またICU生のリテラシーがある程度高いからだと思う。性犯罪が罪にならないような日本で、公共の場で男女のトイレが同じになるのは実際恐怖。性自認が男性の人は同じトイレに入りたくない。」

「学祭など外部の人が沢山キャンパス内にきた時に不安」

「1階だけで良かったと思う。自分は使ってないし、周りの男性教師や男子学生は女性に気を遣って使っていないと言っていた。女子トイレが増えただけという感じ。」

「店員さんが優しい」

「本屋とコンビニを混ぜたような構成がかなり気に入ってます。」

「開館時間が短すぎる。授業と開館時間が重なる率が高く、そうすると昼休みしか行く時間がない。夕方も開館すれば、もっと人も来ると思う。」

「空いている時間が短い、物価が高すぎる」

「現在の開店時間がわからない(Portalで記事を探さないと情報が更新されていない)」

「特に使わない。ヴィーガンなのだが、ヴィーガン用の食べ物を販売していない点が不便。」

「環境保護/フードロス阻止の観点からも、賞味期限切れの商品を割引き値段で売ってくださると助かります。」

「学生の雇用を作ってほしい。」

「意図した学風を作るという意味で私立大学がやる分には問題はないと思います」

「(賛成の立場から)先生たちの雰囲気が好きだから。温かみがあってwelcomingな感じ。特に不満はないけど考え方が偏ってしまうのかな」

「(賛成の立場から)弊学が標榜する数々の理念は時代特殊的地域特殊的、あくまでキリスト教文化の影響の元に思考されうる『特殊』な『普遍』に過ぎず、キリスト教の看板を降ろし特殊性の自覚に欠如したまま『惰性』で『とりあえず』ポリコレ・リベラルを続けるよりも、キリスト教の可能性と制約を同時に意識し続けたままの大学である方が正直で健全であるから」

「(賛成の立場から)掲げる信仰、信念を持たない組織が真に他者の信仰、信念を尊重することができるとは思わないから」

「(賛成の立場から)Cコード廃止論は作ったこともないくせに俳句や短歌を制約があるから自由詩よりも作りにくかろうと看做す輩と程度が同じ」

「(反対の立場から)これが、一般にキリスト教圏以外の地域の学問の多様性がICUにおいて相対的に貧しくなってしまう原因だと思っている。」

「雇用可能な教授の質・多様性が分野によっては制限されていると感じるためCコードにはどちらかと言えば反対(とりわけ宗教・政治・経済・社会学辺りでは日本人クリスチャン学者の学問内分野の分布が偏っていると思う。)。とはいえ研究より教育を重視するなら良い側面もあると思う。」

「Cコードから外れた教授もいらっしゃったので、もはや厳しく守ることはない。C weekなどもあるし、Cコードがなければキリスト教系であるというアイデンティティが失われるわけでもない。」

「この部分は非常に難しい問題だと思う。キリスト教徒でなく様々な宗教を信仰する人、あるいはあえて無神論にしている人も取り入れた方が良いと思う。信仰という行為に対して自分の意見をはっきり持ち、かつICUがキリスト教主義学校であるということについて理解を示す人を採用するべきだと思う。」

「トランスジェンダーの部を作ればいい!などの意見もあるわけですが、そんな単純な区分できないでしょうからやるならMs.ICU/Mr.ICUではなく何の区分もないThe ICUとかにしてなんでもありのエントリーにすればいいんじゃないですかね。セクシャリティ、ジェンダー、服装、特に制限なしの誰でもエントリー可で…」

「(賛成の立場から)やればICU内のジェンダー・セクシュアリティに関する価値観の対立・分断が多少は明らかになると思われるから。ミスコンを開催しないままミスコン的価値観を批判した気になるよりはミスコンを毎年開催して毎年炎上して議論が喚起される方が良い」

「(賛成の立場から)学園祭のように、開催は大学において一般的であると言う前提のもとで、わざわざ廃止するのは、ミスコンなどに出場したかった人の意見を無視していると思う。能力や才能がある人が評価されていることを、差別と呼ぶのはどうなのか? それならば、勉強が得意という才能を持つ人が良い成績を取ることは差別なのか? また、美に定義はなく、ステレオタイプの美を評価基準にしてはいけないという意見については、例えばフィギアスケートや音楽、アートなどは、ステレオタイプの美を基準に評価されているが、あれは許させることなのか? では、なぜ周りに不愉快な思いをする人を生んでまで、ひたすらにしつこく反対運動をするのか? 疑問しか出てきません。」

「(反対の立場から)ジェンダーの固定概念を助長し、ルッキズム助長になるから。」

「(反対の立場から)人に順位をつけることは社会のものさしをつくることになるし、みんな違ってみんないいという多様性を認めるべきだと思うから。」

「(反対の立場から)見た目は大切だと思っている。正直、不潔そうな人に『見た目は関係ない』と言われても『何言ってやがる』としか思わない。ただ、ミスコンで評価される『見た目』は私の思う大切にすべき見た目ではない。しかも、他大のミスコンでは勝ち残るために邪なことをやる候補者がいるようなので、そのような性悪な行為はICUには必要ないです。」

“This is commodification of the body and will normalize the image of beauty in a particular cultural sphere even though ICU should be open to those with any cultural backgrounds. I see this kind of event as discrimination and strongly disagree with it.”

「旧時代のジェンダーロールと男女二元論に基づいて人間を評価する従来のミス(ター)コンを開催することなら自分は真っ向から反対するのですが、仮にそうでなかったとしても人間に価値をつけて誰が最も『高く売れる』かを競うことは現在の価値体系を追認し再生産するだけの営みであり、それによって疎外感を覚える人も少なくはないように思います。一方で、そのようなコンテストを中止したからといって人間を『どれだけジェンダーロールに沿っているか』『どれだけ稼げるか』に基づいてジャッジすることを正当化する社会通念がなくなるかというと私はそうは思いません。どうせより巧妙に社会システムに埋め込まれるだけでしょう。だからこそ、たとえある面では価値体系の再生産であったとしてもオルタナティブなコンテストを開催することで救われる人もいるように思いますし、完全に反対とは言い切れないのです。」