ICU教授陣の「私の一冊」(1)
|ICU教授陣が、「私の一冊」と言えるような思い入れのある本について語る新企画。第1回は、岩切正一郎学長(フランス文学)、森本あんり教授(哲学・宗教学、アメリカ研究)、伊藤亜紀教授(西洋美術)、魯恩碩教授(哲学・宗教学)の4人の先生方にお話を伺いました。
パウル・ツェラン『パウル・ツェラン詩集』(飯吉光夫訳, 思潮社, 1975)
岩切正一郎教授(フランス文学)
私が大学2年生のとき、同じ下宿に、ドイツ文学を研究する5歳年長の大学院生がいて、ある日、飯吉光夫訳のパウル・ツェラン詩集を貸してくれた。それを読んだ時の衝撃は忘れられない。「夜明けの黒いミルク、ぼくらはそれを晩に飲む」で始まる「死のフーガ」を含むアンソロジー。自分でも買おうとしたけれど入手できず(丁度、版元品切れになっていた時だった気がする)、数日かけて手書きでノートに全部書き写した。ドイツ語ではどうなのだろう、と、ドイツ語はできないのに、出て間もないズーアカンプ社の2巻本全集も買い求め、原詩の音やイメージの構成を辞書を引き引き知ろうとした。独文研究室でLPレコードの彼の朗読を聴かせてもらったこともあった。
人には、知的理解とは別のところで自分を捉える、ロラン・バルトならpunctum(心を突き刺してくるもの)と呼ぶものの経験がある。自分の詩的経験のまぎれもなく最も深いところに、『パウル・ツェラン詩集』がある。
森有正『ドストエーフスキー覚書』(創元社, 1950)
森本あんり教授(哲学・宗教学、アメリカ研究)
「人生に決定的な影響を及ぼす本との出会い」というのはこのことだったのかな、と後になって思う。ICU第一男子寮の薄暗い部屋でこの本を読み、最初の一頁で大きな衝撃を受けた。そこには、人間が倫理的責任をもつ主体でありながら、その責任を負うことのできない存在だ、と書かれてある。だからキリスト教の福音が必要なのだ。
あれは大学二年の終わりだったと思う。大学食堂のテーブルを囲んで小さな群れができていた。中心にむっくりとした初老の人がいたが、それが森有正だと聞かされても、わたしはあまり興味をもたなかった。森有正というのは、自分が読み続けている本を書いた人の名前であって、その著者を個人的に知りたいとは思わなかった。秋学期には授業を出すとのことだったが、その直前に彼はパリで亡くなってしまった。
本を読むということは、そこに書かれてあることを自分の内面に構築し直すことだ。好きな小説の映画化を見に行くと幻滅を感じるものだが、読書も同じで、他人が構築した世界は畢竟わたしには響いてこない。現在のICU生たちにも、そこまで沈潜できるような本との出会いがあることを願っている。
ボッカッチョ『デカメロン』(全3巻, 柏熊達生訳, 筑摩書房, 1987-88)
伊藤亜紀教授(西洋美術)
1347年秋、致死の疫病がシチリアを襲い、瞬く間にヨーロッパの人口の半数を奪う。世に言う黒死病(ペスト)の大流行である。親が子を、子が親を捨て、遺骸は放置され、かと思えば暴飲暴食に走る者あり、人心は乱れに乱れる。そんな終末観漂うフィレンツェを逃れて桃源郷にたどり着いた10人の男女が、日々の徒然を慰めるために語り継ぐ100の小話は、さしずめ人生の万華鏡とも言える。極悪人ながら聖人として崇められた公証人、艱難辛苦を経て恋を成就させる男女、夫を巧みに騙して愛人との関係を続ける人妻たち、聖職にあっても己の欲望に忠実な修道士たち、自分を半死半生の目にあわせた悪女に「倍返し」する学者、夫から受けたあらゆる非道な仕打ちに耐え、侯爵妃の座を取り戻す賢女──現代の我々には想像もつかぬほど短い命しか与えられずとも、人びとは叡智のかぎりを尽くして懸命に生きる。過酷な状況を「楽しめる」者だけが、長らえることができるのである。
カール・ヒルティ『ヒルティ著作集第四巻 眠られぬ夜のために1』(小池辰雄訳, 白水社, 1960)
魯恩碩教授(哲学・宗教学)
スイスの法学者カール・ヒルティが自身の信仰について書いた、『眠られぬ夜のために』。本書を初めて読んだのは32年前、高校生の頃だった。実家の本棚で韓国語版を偶然見つけ、その内容に強い感銘を受けた。人間は困難のなかにある時に萎縮しやすく、そこから抜け出すことは中々難しい。だが、ヒルティの言葉は後の歓びや進歩のために困難は与えられるということを思い出させてくれる。反対に何かが上手くいき、傲慢になりやすい時には、人生においての姿勢を正すことを教えてくれる。そんな、良き時も悪しき時も力を与えてくれる一冊だ。人生の羅針盤でもある頁には、何本も線引きをした。一日一章など、少しずつ噛み砕きながら、何度も読み返すのがおすすめだ。(聞き手:丸田翔子)
“人生の幸福は、艱難が少ないとか無いとかいうことにあるのではなく、それらのすべてを常勝的にかがやかしく克服するにある。”(『ヒルティ著作集第四巻 眠られぬ夜にために1』p.74, 75)