西尾先生インタビュー

 今年度をもってICUを退職される先生へのインタビュー企画。今回は、公共政策メジャーの西尾隆先生にインタビューさせていただいた。先生のご専攻である行政学やこれまでの研究、ICUの今昔についてお話を伺った。

▲研究室での西尾先生

ーー先生の研究分野について教えてください。

 元々は行政学です。その対象には国の官僚制だけでなく、地方自治も入っています。メジャーの名称である公共政策は、 行政学よりも学問としてもっと新しいんです。行政学は19世紀後半にアメリカでスタートしましたが、政策学はアメリカでも戦後からですし、日本で盛んになるのは80年代ぐらいかな。政治学とは一部重なりつつも実践性で異なるし、少しずつ言葉が違うからズレはあるけれど、大体そういう分野を40年ぐらいやってるってことですね。

ーー行政学の面白さってどんなところなんでしょうか?

 色々な要素やテーマがここに詰まっています。私は最初に制度理論と個別行政の歴史から入り、博士論文は森林行政の歴史についてでした。でも、やればやるほど行政学の地平は広がり、なんでも包含するんですよ。自然科学に関係するような科学技術政策もあれば、福祉や年金、経済政策とかなんでもありの世界なんだよね。だから、ある意味で大変なんだけども、それぞれやってみれば面白い。「新しい世界が次々と開ける」というような。

 生活の色々な局面がそこにあってね。例えばまちづくりには都市計画もあれば、福祉のしくみづくりもあり、人づくりもあり、ネットワークづくりもあるのでね。どこが学問なのかと思われるかもしれませんが、国-地方関係のように理論的に重要な論点もあるし、まちの個性の出し方など実践面で面白い問題もあるんです。なんでも含んでいるというところは、ちょっとリベラルアーツ的っていうかね。しかし、その都度、総合的に判断していかなくちゃいけない責任もある。そこら辺も面白いと思ったんだね。

ーー行政学を志したきっかけについて教えてください。

 学部時代は政治学に興味があったんです。活動家から見るとノンポリではありましたが。それから法律にも興味が出て、卒論を書く時は、新興の法社会学という分野に惹かれ、2代目学長だった憲法の鵜飼先生*に指導していただきました。卒業後、進学をして、そこから行政学を始めました。

偶然的な出会い

 大学院での指導教授だった辻清明先生*は、たとえ話や海外の話題が本当に面白かったね。日本官僚制や地方自治の研究をされていました。元々ドイツ文学を専攻されていたところも波長が合って、もう人間的に惹かれましたね。結局そういう偶然の人との出会いみたいなもので、この分野をやるようになりましたが、テーマに広がりがあり方法的にも自由で、いい分野に出会ったなと思います。

 若い頃の私は、地方自治の研究を本気でやるつもりはありませんでした。だけど三鷹のまちづくりの実践に触れて、考えが変わりましたね。その後東大からICUに来られた、西尾勝先生には「地方自治には行政の全てがあるよ」なんて言われて、地域のまちづくりとか、制度設計に参加することを勧められました。この方は先ほどの辻先生のお弟子さんでしたが、もう1人、松下圭一先生*には「のめり込めよ」なんて言われたんです。だから、三鷹のまちづくりにのめり込んだ時期もありますね。

ーーこれまでの研究を振り返って印象に残っていることはなんですか?

 私は30歳で博士論文が終わって、それからICUに採用されて教え始めました。その後、アメリカのプリンストン大に2年間留学します。帰国後、ある研究会でアメリカの住民自治について報告したところ、それを聞いた松下圭一先生に「面白かったよ。でもな、アメリカのことを研究するのは今日で終わりにしろ。アメリカのことは、アメリカ人がやってくれるから、お前がやる必要はない」と言われました。日本の地域のことをやる研究者が少ないから、日本のことをちゃんとやれと説教されてね。当時そんな言い方をする人はいなかったから、苦笑したけども(笑)。日本人が日本のことを研究するって大事だなと思いましたね。松下先生のアドバイスは本当に大きかったです。

実践の大切さ

 実践に関わったのは大きな転機でした。30代半ばまでは、純粋な研究者風だったの。だけど、まちづくりに関わり始めると、自分のスタイルも変わりました。理論を実践で試したり、実際の現場から新しい知恵や発想も出てきたりという経験は新鮮でした。

 それまでは、古典や論文を読んだり、せいぜいインタビューしたりでした。だけど、松下先生から「自分で計画策定にかかわってみないと、わかんない。お前の書くものは一見面白いよ。でも、わかってない」という批判をされたんです。ちょうどその頃、「みたか市民プラン21」という三鷹市の基本計画策定への市民参加を市長に提案し、それに関わる中で計画や参加について深く理解できました。

 現場の実践が全てではないですが、経験が十分にないと議論が空疎になってしまいます。実は行政学会には実務家がかなりいるんです。地方自治体の職員や、人事院、会計検査院、総務省の官僚とかね。そういう人たちが聞いて「あなたの報告にはリアリティがある」と言われるか否かは、自分にとっては重要な評価基準でした。

臨床の知

 それは知識が生きてるかどうかを試されてるんじゃないかと思うんです。政治学会には政治家はおそらく1人もいない。でも、行政学会は行政官がたくさんいるので、政策現場の職員から学ぶ姿勢は身に付いたと思います。

 以前の日本は、欧米から制度を輸入し、それを国から地方へ浸透させていくやり方で、近代化や戦後の発展も成し遂げてきました。でも、今の日本はどこの国も経験してない課題に直面しているんですよ。少子高齢化やひきこもりもそうだし、孤独とかね。災害や原発事故だってそうだよね。世界の先端的な課題に直面してるわけで、その現場で格闘しているのは、研究者ではなく実務家なんです。だから、彼らから学ぶことも多いと思うんだよね。

 生活現場であれこれ話を聞き取りしながら、それを言葉にして、概念化していくっていうのは人類学などにもあると思います。ただ、問題解決という意味では、自治体の職員から出てくる知恵には斬新なものがありますね。これを「臨床の知」と言って、いろんな形でナマの知に触れる機会が多くありました。

 正直言って、今の日本の課題ってあまりにも重すぎてどうしたらいいか分かりません。私は公務員の問題をやってきて、公共問題を解決する職員をどう育てるか考えてきました。政治家も重要だけれども、量としては圧倒的に公務員が多いからね。そういう人たちをどうリクルートし、どうトレーニングすれば問題解決に役立つかっていうのは意外に難しくてね。上手くいってないどころか、むしろ劣化が進んでるっていう気がするね。そういう意味では反省ばかりだけども、研究はやめないつもりでいます。

ーー退職された後は研究以外に何かご予定はありますか?

 今年の6月から自殺対策の社団法人に関わっています。どちらかというと、頼まれて引き受けたんだけど、間接的に人の命を救う研究だから、やりがいのある仕事です。今、日本の若者が何で亡くなるかっていえば、1番は自殺なんです。子供から40代くらいまでずっと死因の1位なんですね。今までの研究とは少し違うんだけれど、そういった方面に研究面から関わっていくと思います。

 退職後の選択肢は色々あるんです。ただ、1番大きいのは自由になりたい気持ちかな。学生を前にして言うのもなんだけど、卒論指導の数も限界に近いという感じなんです。クラスもサイズが大きいと成績をつけるのが大変ですし(笑)。

 今のは余談ですが、もう十分教えたという気持ちはあります。ICUで楽しく学んだし、教えて少しはお返しもできたし。だから自由になりたい気持ちが膨らんでいます。

 若い頃はね、自律的な人生を生きたいと思っていたんです。高校までは広島県の郡部で周りの制約が嫌で「俺は自由に生きたい」と思っていました。研究者を選んだのはよかったし、行政学も自由にテーマを選べてよかったと思います。だけどね、だんだんやっていると他律的になってきてね。色んな研究プロジェクトに加わってと言われると、ついやっちゃうんですよ。それが元で生まれる苦労もありますが、予期せぬ出会いも生まれるんです。自律、他律の他に、亡くなられたICU教会の古屋牧師がおっしゃっていた「神律」という考え方があってね。他律的にも思えるけれど、神の計画に引っかかる・絡み取られるみたいなのがあるんですよ。自殺対策にもそういう気持ちで関わっています。

 だからこれからは、完全に自由に、自律的になるというよりも、「神律的」にやっていこうかなというふうに考えています。神様が何か自分に期待するものがあるとすると、こんなものかなというようにね。選択肢は色々あるんだけども、自分自身が決めうるものでない要素もあるかなと思います。

ーー学生時代からICUで学び、教授としてお返ししてきたというお話がありましたが、長く携わってきたなかでICUの変わらないところ、変わったところはありますか?

学風について

 他の大学や組織を見ると、昔も今も自由な学風は変わらないなと思いますね。例えばコロナによって必要な規制はたくさんできてきたんだけど、このルールはやっぱり変だよなということを常に改善していく動きはあったんじゃないかな。秩序や規律も大事なんだけれども、同時に余計な規制はしないというふうな。これまで多少波はあるけれども、この大学のメンバーの中にはそういう自由への意志が生きているんじゃないでしょうか。

メジャー制度の課題

 最も大きな変化はメジャー制度だろうね。私は、学科をなくすこと*には元々賛成ではありませんでした。これから去る人間が言うのは適切ではないかもしれないが、複数学科は残した方がよかったと思うことがあります。6学科でなくても3学科でいいんだけどね。

 例えば、区別として理学科はあった方がいいし、社会科学系の国際関係学科と人文系の国際教養学科を区別すると、卒論指導やメジャーの偏りが改善されるように思います。学科を維持しながらメジャー制度を展開すれば、学生数は3つに分かれたまま、必要なら転科すればいいわけです。

 これは制度研究者としての一般論ですが、基本設計が悪いともう1回作り直さないかぎり問題は容易に解消しません。だけど、その勇気はなかなか出ないよね。だから、制度のデザインってとても大事なの。1度決めたらもうそれで行くしかないこともある。しかしともかく、73年前のICUの設計思想は素晴らしかったと思います。

ーー今のICU生に伝えたいことやアドバイスはありますか?

 ちょうど他の先生とも話していたんですが、今の学生って昔と比べてもすごくできる人がいるなと思うんです。教えていて、どうしてこんなにできるんだろうという人がいるのが私の印象ですね。

 でも全体としては正直、昔ほど自由な感じがないし、学生が保守化していると感じます。特に、政権批判が弱いなと思うんです。時には危険なほど弱い。もっと自由に発言し、不満なことには声を上げればいいんです。これはICU生という意味ではありませんが、若い世代の投票率は昔と比べて低く、非常に気になることです。でも、それも世の中の波であり、リズムなのかなと。

 そこで大事なのは対話なんです。先学期の授業で、国会で与党の質問時間が増えたことについてディスカッションをしました。国会とは野党が質問するためにある場所なので、これまでは英国議会にならって野党の質問時間が圧倒的に多かったんです。しかし、第二次安倍政権では与党の方が議席数が多いのだから、もっと質問権と時間をこちらによこせということになりました。それは誤りでフェアではないんです。この考え方について学生と議論したところ、「数が多いのだから、当然質問時間も長いでしょう」という意見が出ました。そういった疑問をぶつけてくれることに私は感謝しているんですよ。このような議論が成り立つということは、素晴らしいことで、健全だなと思いますね。

 教員が言うことがちょっと変だと思えば、いくらでも言ってくれればいいし、私もそれに対して自分の意見を言います。最終的にみんなが自分なりの判断を持てればいいしね。教師が対話を閉ざしては、もう最悪だよね。まだまだ熱い議論ができて健全ですよ。上記の議論について、わりと学生から強く言われて、こちらも強く言ったけれども、最後は「ありがとう。今のは非常に良い議論だった」と話して、対話の重要性を心底感じました。

ーー確かに先生と距離が近い大学だなと感じます。

 権威主義的になると、距離ができてしまうよね。私自身もICUで学んで、その頃も先生との距離は近かったです。教える立場になって、私もそういうふうに努めてきました。これからも大事なことだと思いますね。この3年間はコロナでオフィスアワーが少なくなりましたけど、わりと研究室に来るのが好きな学生もいるよね。あなたもこうやって来ているし。いいことだよね。他の大学だとなかなかこうはいきません。

 ICUは昔から学生がのこのこやってきて、時に長居をするんです。こっちも、1時間も経つと私がお茶を出したりなんかしてね。この伝統が消えないように、皆さんがオフィスアワーに押しかけるって大事なことなんじゃないのかな。

ーー最後に、今後のICUについてコメントをお願いします。

 日本には「改善(カイゼン*)文化」というのがあってね。物事が少し変な方向に行くと、その都度ボトムアップで修正していくんです。私はそういった「不断の改善」が大切なんじゃないかと思っています。ICUについては、対話を重ねて、微修正を重ねていくことが大事だと思いますね。ラディカルに何か変えるのはリスクの方が大きいかもしれません。そういう「改善マインド」みたいなものを学生も含め多くの人が持っていれば、良きICUは持続できるんじゃないでしょうか。良い伝統を残し、悪いところを常に修正していけば、今のICUはさらに進化していくことができる気がします。

ーー常に改善の意識を持つことが大切なんですね。本日はお忙しい中、ありがとうございました。

【水色】

*鵜飼信成教授(1906-1987)は憲法が専門で、1961年から1966年までICUの学長を務めた。

*辻清明教授(1913-1991)は行政学者として、日本官僚制の研究に強い影響を与えた。その研究は、記事内で後述の西尾勝先生(1938-2022)を筆頭とする研究者たちに引き継がれた。

*松下圭一教授(1929-2015)は政治学者であり、都市型社会論における重要なコンセプトとして「シビル・ミニマム」という概念を提唱した。

*ICUは2008年度に制度改革を実施し、それまで6学科に分かれて入学していた制度を変更した。学生は入学時には専攻を決める必要がなくなり、2年時の終わりにメジャーを選択する現在のメジャー制度が始まった。

*現場にいる人たちが中心となって知恵を出し、解決策を模索するという考え方。日本の製造業界から誕生し、トヨタの行動規範として特に有名である。海外でも “Kaizen”と表記され、世界的に重要視されるようになった。

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