一周回って「多様で未完成な『ICUらしさ』でも、いいじゃん?」と気づけた話

 定義された「ICUらしさ」を、ICU生らしく批判する。その批判の土台になるイベントという意味で興味深かったと思う。実のところ筆者はICUに対して愛憎両方も感じない、いわば無関心な人間だった。まず寮生でないかつ、サークルには入っていないも同然で、加えてコロナ禍で大学への帰属意識をほとんど感じなくなっていた。そんな筆者も、Rethink ICUによって定義されたICUらしさの妥当性を考える上で、今までとは違った目でICUを俯瞰してみたくなった。参加者同士が対話をするというトリのイベントには時間の都合上参加できず残念だったが、それまでの講義パートに出席をした感想を軽く記したい。

 理事長のスピーチや学長も交えたパネルディスカッションは、すごく必死に見えた。「普遍性」というテーマ上仕方ないのかもしれないが、想像以上に無難かつ理想っぽい結論になっていた印象である。就活中、理念や良い側面ばかり話す企業説明会を聞きながら感じていたモヤモヤを思い出した。企業を始めとするさまざまな組織が社会的責任を明らかにして、少しでも批判から逃れようとする姿勢に似ていると思った。正直居心地の悪さを感じる瞬間もあった。だが、そんな筆者も、ICUらしさという言葉を使いたい気分になった。つまり、「ICUらしさとは、この表明を鵜呑みにしないこと」。

 だけれども、主に二つの点から、今回のようなイベントの意義の大きさを感じている。一つ目は、一人一人が天邪鬼さ(いわゆる「クリティカルシンキング」)を発揮し、大学が真の多様性を獲得する機会になるということ。そもそもの土台となる、大学の公式な考えを知るのは、無関心をやめて自分なりの意見を考える上で必要な工程である。そして、答えとして出てきたさまざまな関わり方を認める風潮には大きな価値があるだろう。二つ目は、少数派がカルチャーや思想を共有することによって連帯を強める過程を体験できること。また就活の話になってしまって恐縮だが、就活をしているとICUの学生数の少なさを痛感する。学内にいると忘れがちだが、ICUは知名度がまあまあ低く、学生数的にも少数派である。ICUのような少数派が、多数派との差別化をして尊厳を保つ方法として、文化や、同じテーマを持つことの重要性を改めて考えさせられた。

 このイベントは、本来筆者と似た境遇のような人にこそ参加する価値があるだろう。おそらく、何らかの答えを出す経験ができると思う。ここまで散々書いてきたが、個人的には、いつまでもICUらしさを考え続けるその姿勢自体を、正しく評価できる人間でありたいと考えるようになった。本イベントにおいてはぜひ今後も内容をパワーアップさせながら、特に無関心な人や新入生のためにICUらしさを提示するイベントとして存続してくれることを願う。  

【カツオうを】

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