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ICU祭直前特別更新!HISTORY OF ICU FESTIVAL 【前編】

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▲ICU祭前夜祭にてのキャンプファイヤー(ICU歴史資料室データベースより)

ICU祭の始まり

ICU祭の始まりはICUが献学された1953年に遡る。当時のICUでは大学の形成段階においても積極的に学生が参画していて、そうした参画のひとつとして学生会が組織されていた。ICU祭は学外の人にICUへの理解を深めてもらおうと学生会所属の横山啓示さんが提唱し、1953年10月30日に開かれた学生総会でその開催の是非が討議されたが、時期尚早論が出て立ち消えになってしまった。

しかし、1953年11月5日に開かれた学生会の臨時会議で第1回ICU祭開催が計画され、ICU祭委員に男子4名、女子1名が任命された。

 

第1回 ICU祭

第1回ICU祭は1954年11月22日、23日に開催された。当時の参加者はICUの教職員や学生とその家族、そして友人に限られていた。これは、当時非常に重要視されていた「ICUファミリー」という概念を徹底するためだったそうだ。

当時は前夜祭が行われており、学生がキャンプファイヤーを囲んで踊っている写真が保存されている。

出店では稲荷寿司やお汁粉、おでんなどが振る舞われたが、売れ残らないようにと200人分しか用意されなかったため開店後30分で売り切れ、文句が噴出したという記録も残っている。

当時のプログラムが1954年12月21日発行の大学機関紙「ICU Weekly Bulletin」に掲載されていた。これによるとESSによるスピーチやディベート、グリークラブのコンサート、そしてなんとパン食い競争やソフトテニス、バスケットボール、バレーボール、卓球の試合が行われていたようだ。文化祭と体育祭を合わせたような内容になっている。

また、この機関紙には第1回ICU祭について「…this was a “success”.」と書かれており、非常に盛況だったことが伺える。

▲第1回ICU祭プログラム(ICU歴史資料室データベースより)
▲第1回ICU祭プログラム(ICU歴史資料室データベースより)

 

学生紛争による中断

1960年代から1970年代前半にかけて日本各地で起こっていた学生紛争は、ここICUでも起こった。その中心的な役割を果たしていたのが、ICU祭を運営していた学生会と全学共闘会議(全共闘)だった。

ICUでは6回にも及ぶ学生紛争が起こる。第1回学生紛争は1963年に起こった。これは学費値上げに反対するもので、授業のボイコットなどが行われた。

第2回学生紛争は、生協の設立を求める学生に対し、大学側が代わりに食堂を値上げすると発表したために起こった。食堂のボイコット運動から、本館がバリケードによって封鎖、占拠される事態にまで発展した。

第3回学生紛争は入学試験への能研テスト導入に対する反対運動で、機動隊が出動し、学生10名が除籍となり、また6名が機動隊に逮捕された。能研テストとは現在のセンター試験のようなもので、私立大学で採用を決めたのはICUだけだったそうだ。またこの頃(1966年)に学生会は会長立候補者不在のため消滅し、ICU祭は10年ほど中断されてしまう。

第4回~第6回学生紛争はガードマン体制の解除、教授会議事録の公開、能研テストへの反対運動に参加した学生の除籍撤回を求めた運動だった。本館、理学館、D館といった学内の様々な施設が占拠されるという凄まじい対立が起こったという。

【後編】につづく

※この記事は2014年10月16日発行のThe Weekly GIANTS No.1138/39号からの転載です。

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