「身の丈」を考える:生理用品の無償配布

 また奨学金選考に落ちた。今回は学内選考。推薦状を書いていただいた先生に申し訳なさがよぎるなか、何がダメだったのだろうと応募書類を見返す。月に6万から9万円稼ぐには、バイトを2つと不定期の仕事を1つ掛け持ちしないとならない。昔インターンをしていた時は15万円稼ぐことが出来たものの、ほとんど生活費と学費でなくなってしまった。ICUは運命の大学だと思う。たぶん。しかし、奨学金に落ちるたびに、一つ心の支えがまた折れる。私の身の丈にICUはきっと合っていない。

 ねずみ講から新興宗教にずぶずぶハマり、訳の分からないセミナーと露骨なプラセボ薬にお金を使う母に、お金持ち癖が抜けず過去の栄光が忘れられないまま湯水のように贅沢をする陰謀論者の父。気づけば、自分のアルバイト代は衣食をはじめ雑費で消えてゆく。勿論生理用品なんてもってのほか。中学生の時は、近所のドラッグストアで一番安い昼用20.5cmを購入し、トイレットペーパーで拭って一週間使い続けていた。高校生になってようやく羽根つきを買えるようになったが、それでも不定期に訪れる生理にはいつまでたっても慣れない。コンビニに慌てて駆け込み、昼ご飯の代わりに生理用品を買う。お腹を膨らませるため水を飲みながら、トイレに行くたびにナプキンを必死で拭った。大学に入るとバイトの時給が上がり、おむつ型のナプキンを買えるようになった。高いので1か月に1度使う程度だが、経血漏れで真っ赤に染まったパンツを捨てる可能性が減るだけでも気持ちは楽になる。「血が付いたからと言って買い換えてはもったいない。」そう母に言われ、体育の前には、誰にも気づかれませんようにと祈りながら、隠れるように服を着替えてきた。人間のできた同級生たちは気づいても直接言うことはしなかったのだろう。早着替えの技術が磨かれたのが不幸中の幸いだった。

 そんな環境が一変したのは大王製紙が行っている「奨学ナプキン」に採用されたのがきっかけであった。1年に3回届く段ボールに敷き詰められた生理用品と、会社の人からのメッセージ。実際に届いたときには思わず泣いてしまった。中学の時、担任からイスを血まみれにして怒られたとき。高校の時、保健室の先生に言われた「自己責任」という言葉。大学の先生が当然のように言う「ICUには経済的に困窮している人はいない」という見立て。奨学金の選考に漏れ続ける中で、私の生理を、人生を気にしてくれている誰かがいる、生理は社会の問題であると認識したのはその時がはじめてであった。

 漏らしてはいけません、でも漏らさないための道具はあげませんというのはトイレットペーパーが公衆トイレでもらえるのに比べ余りも残酷だ。トイレに紙がないとき、よく新聞紙や雑誌で拭くと良いと聞く。じゃあ生理は? トイレットペーパーでぎゅうぎゅうになった下着はあまりにも不安定で、動くたびに不安で泣きそうになる。一度、衛生ゴミから使われた生理用品を取り出そうとしたことすらあった。生理のある人はダブルバインドの中で生きざるを得ない。

 だが、このような思いをしているのは私だけなのだろうか。女子トイレを使う人の多くが遭遇する一言、「生理用品持ってませんか?」見知らぬ人から声を掛けられ、こちらも喜んでナプキンを渡す。あるいは、街中でボトムスに赤いしみがついた人を見かけこっそり声をかける。そんな連帯は、長年の隠れることを強制される中で磨かれてきた。しかし、いつまで隠れなければならないのだろう。リレーで全力で走れないこと、下着とナプキンがズレるのが恐ろしく着られない白いズボン。はじめての「オンナノコの日」が「オトナの証」として祝われ赤飯がたかれるのにくらべ、その内実は鬱々としている。「オトナ」の「オンナノコ」たちは今日もまた気分の乱高下に耐えながら、細々と生きている。

 生理の貧困とは、経済的な理由に関わらず、社会的・文化的な理由で生理用品にアクセスできないことを指す。ICUで生理用品を手に入れるのはどういうわけか難しい。徒歩15分のコンビニ、11時前には開かない売店、ヘルスケアオフィスではもらえるが対面が恥ずかしいという人もいるだろう。私にはできなかった。自分の身体を女性と定義すると、心との折り合いがどうにもつかない。生理が「女性性の象徴」となっている社会では、どうにも上手くいかないことが多い。それは「女性」の現象がゆえに軽視されているからであり、また「女性」の現象とされることで「生理がある人」が透明化されているからだ。

 生理に邪魔されずに普通に学校生活を送りたい、というのは身の丈に合わない願いなのだろうか。生理用品の無償配布で、生理がある多くの人の苦しみが軽減されてほしい。そして、ICUにはその声を聞いてほしい。そんな思いは我儘だろうか。

 12月から行っている生理用品に関するアンケートには300人以上の声が集まった。無償配布に対する喜びの声に誇らしさを覚える一方で、まだ学校の10%をわずかに満たすばかりで絶対数が足りない。どうか、あなたの考えを教えてほしい。ICUに相応しい学生とはどのような人なのだろうか。そこに私の居場所はあるのだろうか。【学生団体 オク+パス代表】

「オク+パス」生理用品無料配布プロジェクト

生理の貧困に取り組むICU学生団体「オク+パス」による生理用品無料配布プロジェクトが、12月7日から1月27日まで期間限定で行われている。「オク+パス」によると、本館のオールジェンダートイレ(1階・2階)に設置された100枚のナプキンは、設置から僅か1週間でなくなった。現在はより多くのニーズに応えるべく、提供数を300枚に増量し男子トイレの個室や女子トイレの手洗い場にも設置場所を広げている。

(以下「オク+パス」の告知全文)

授業中に生理が来たあの瞬間、勉強に集中できなくなり、不安に襲われたことはありませんか?
急いでトイレに駆け込んで、ナプキンを持っていないことに絶望したことはありませんか?
もし、あの時トイレの中にナプキンがあれば、そんな思いをせずにすんだのに。
私たちは、すべての生理のあるひとたちが安心して大学生活を送るために、大学が生理用品を「オールジェンダートイレ」で「無料提供」することを求めています。

でも、なぜ大学側が生理用品の無料提供をしなければならないのでしょうか?
生理は自分の意志だけで止められるものではありません。突然襲われた時ナプキンがないと、どうしようもない不安感のまま授業を受け続けなければなりません。あるいは、そもそも生理用品を買えない人もいます。ICUにはお金持ちしか存在しないと思い込んでいませんか?実際には明日食べるものにも困って、生理期間中同じタンポンを使い続ける人もいます。これは、臓器不全や、最悪の場合命を落とす危険な行為です。

そして、生理は「女性」だけの問題ではありません。

普段から男性として周りから扱われているトランスジェンダー男性や男女二つの性別に当てはまらないノンバイナリーの人にも生理はあります。また、更なる困難に直面する危険性があります。例えば、男性として生活している人が、購買で生理用品を買おうとすると、トランスジェンダーであることを強制的に開示させられたり、時に生理があることで女性扱いされてしまいます。

これらの問題は、ナプキンが貰えるだけであっという間に解決することができます。
でも、それは大学の仕事ではないと思っていませんか?
いいえ、大阪大学・早稲田大学・慶応義塾大学・中央大学・津田塾大学・上智大学・龍谷大学・福島大学などでは既に生理用品の無償配布を行っています。また、今年からICU高校でもトイレ内で無料ナプキンの設置が始まりました。
ICUは世界人権宣言を理念として掲げ、ジェンダーや性自認における差別が禁止され「安心して過ごせるキャンパスである」と名乗っています。にもかかわらず、未だに多くの生理ある人にとっては「安心して過ごせるキャンパス」だとは言えません。
そこで、私たちは大学側に対し、「オールジェンダートイレ」における「生理用品の無償配布」を要求しています。

このような状況を変え、よりよいキャンパスを作るべく、生理用品の無料配布を12/7から期間限定で行っています。

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