学内で幻のジェット戦闘機・火龍のエンジン部品発見 古川英明さん単独インタビュー

ジェットエンジンの部品を発見された古川英明さん

11月上旬、SNS上で「とあるICU生が成し遂げた大発見」を伝える記事が話題となった。毎日新聞が「幻のエンジン部品発見 初のジェット戦闘機『火龍』 B29迎撃目指し開発中に終戦」というタイトルで、ICU構内の資材置き場で在学生の手により発見されたエンジン部品が、旧陸軍初のジェット戦闘機・火龍(かりゅう)に搭載予定だったものである可能性が高いと判明したと報じたのである。火龍は戦前日本最大の戦闘機メーカーであった中島飛行機の手により開発が進められ、そのエンジンである「ネ・230」は現在のICUのキャンパスが位置する土地に戦前存在した中島飛行機三鷹研究所において開発されていた。

今回本紙はジェットエンジンの部品を発見されたICU4年の古川英明さんに独占インタビューを敢行し、発見の経緯やエンジンの現状と今後、発見に際した感想など、様々なお話を伺った。(※内容は再構成済)

 

――まず、エンジン部品を見つけた経緯を簡単に教えていただけますか
2年生の春学期に履修していた「近代日本とICU」というウィリアム・スティール教授の授業で、「ICUの過去に関してなんでもいいから調べろ」という趣旨のレポート課題が出されました。そこで、元々興味があった中島飛行機三鷹研究所とICUとの関係性をテーマに、当時の建造物が現状どうなっているのかについて調べたいと思い立ち、昔の資料や航空写真などを読みつつICUのキャンパス内を歩き回ったり、そういった歴史に造詣の深い方からお話を伺ったりしていました。その中で三成工業(学内の管理を請け負っている業者)の児島社長にお話を伺っていたら、「富嶽(中島飛行機が開発を進めていた戦略爆撃機)のエンジンと言われてるものを資材置き場で保管している」と言われて、それを見せてもらったのが現在火龍のジェットエンジンであるとされてるものとの出会いでした。

実際目にしても果たしてそれがエンジンなのかもわからず悩んでいたところ、ふとICUの歴史にお詳しい母校・ICU高校の高柳先生に相談すべきだろうと思い至り、ICU高校に駆け込みました。実はその後の調査は高柳先生がほとんど請け負ってくださり、僕はあくまで定期的に進捗をお伺いするだけでした。

結局授業のレポートではエンジンのことは触れませんでしたが、調査は続けられました。

 

――元々中島飛行機とICUとの関係性に興味があったとおっしゃいましたが、最初にキャンパスの歴史、とくに中島飛行機との関係性について興味を持たれたきっかけは何ですか?
高校生のころ、先ほど申し上げた高柳先生の日本史の授業を受講してからです。1年間先生の授業を受けていたのですが、その最後の学期の授業の中でICUと中島飛行機との関係や、学内の戦争遺跡についての話をお聞きして、「自分の身近なところにそんなものがあるんだ」と強い興味を持ちました。また、大学に進学したらもっと詳しく調べてみたいとそのとき感じました。

 

――調査結果が出るまでは苦労されたとお聞きしましたが、その点について詳しく教えていただけますか?
最終的には航空系の専門家2人に調査を頼んで火龍のジェットエンジンだということが判明したんですが、そこに至るまでは結構大変でした。調査依頼はICU高校の高柳先生がほぼ全面的に請け負ってくださったんですが、まず先生ご自身が持っていた資料からこれがどういう部品なのかということを調べつつ、同時並行で先生のお知り合いでこういったことに造詣の深い高校の父兄の方々や、中島飛行機の後継企業である富士重工の人たちに話を聞き、徐々にジェットエンジンの部品らしいという確信を深めていきました。ですが、「中島飛行機時代のエンジンがこんなにきれいなんてあり得ない」とか「実は米軍が作った部品なのではないか」といった、否定的な意見もたくさんいただきました。

専門家の方に調査をお願いする段階になっても、拒否されるケースもありました。そんな中で、最終的にいろいろなつてで今回調査を請け負ってくださった方々にたどり着き、無事検証することができました。

 

――悪戦苦闘の中、火龍のジェットエンジンだということが判明し、どのように感じられましたか?
素直に嬉しかったです。調査の進展については高柳先生から定期的にお聞きしており、なかなか正体が判明しないことに先生も私もずっと不安に思っていた分、中島飛行機時代のジェットエンジンの部品であったということの確証が得られたと聞いたときは感激しました。

 

ーー現在エンジンはどのような状態なのですか? また、ご自身としては今後エンジンはどのように扱われることを望みますか?
展示される予定のようですが、展示の手法や場所についてはまだ決まっていないようです。私個人の意見としては、中島飛行機三鷹研究所本館としても用いられていた大学本館で、学生や教職員向けにぜひ展示してほしいと思っています。

 

ーー最後に、今回の発見を締めくくり、一言メッセージをお願いします!
正門、マクリーン通り、旧ロータリー、本館など、ICUには目に見える中島飛行機三鷹研究所時代の遺構が残っていますが、それらを含めたこの地の歴史についてICUの学生や教職員にぜひ学んでいただき、このジェットエンジン部品がここにある理由をぜひ考えていただけたら嬉しいです。

 

――ありがとうございました。

発見当時の火龍のジェットエンジン(古川さん提供)
同じく、発見当時のエンジン(古川さん提供)