【新入生歓迎特集】
国際基督教大学(ICU)映画部 きらきら星より「人道的、あまりに人道的」

 

 新型コロナウイルスの流行から早いこと一年が経った。ぼくを含めた大学生は、初めてのオンライン授業に慣れてきて、もはや飽きてしまった頃だろう。大学での新生活や、キャンパスライフを心待ちにされていた新入生の 25、並びに 去年入学された 24 の方々の気持ちは、ぼくには計り知れない。 

 ところで、昨今は「密」と呼ばれてしまうこと、たとえば、教室で行うリアルな大学の授業、あるいは人と人が協力して行う制作であったりなど、とにかく人が集まることが「悪」とされてしまう時代だ。それが正しいか間違っているかは括弧に入れておき、なぜ「密」になってはいけないのか、なぜ集会することが「悪」とされてしまうのかを考えてみよう。結論としては、権力は人々を「生かす」ために密であることを悪としているではないだろうか。 

 ミシェル・フーコーというフランスの哲学者は、近代的な権力の特徴として、 権力が人々の「生」に介入することを挙げた。たとえば、各国の人々を生かすためにロックダウンであったり、緊急事態宣言などを発動することが、その表れだ。フーコーは『狂気の歴史』で近代社会の始まりは、狂人を病院に「閉じ込める」ことにあると述べた。このようにまさに今、権力は人々を「閉じ込める」ことに必死になっている。今、フーコーの言葉はアクチュアルな意味を持っている。 

 問題は、本来リベラルな立場を取るべきである大学という組織が、そういった権力に対し「従ってしまった」ことにあるのではないだろうか。ぼくたちの大学である国際基督教大学(以下「ICU」という)は、極めてリベラルな立場をとっているのだが、今回に関しては権力に従い、キャンパスを閉鎖し、更には学生の行動を制限さえもした。ICUだけでなく、日本のほとんどの大学がこういった処置を取った。余談だが、こういったこともあって、ぼくはいわゆるリベラルに対し、今まで以上に失望してしまった。ともかく、大学としては世間体や大学経営の事情もあるのか、学生の中から感染者を出したくないがために、学生を家に「閉じ込める」ことを選択した。この問題は、感染した人=被害者、感染させた人=加害者という図式にも繋がっている。 

 制作では、どうしても密になる必要がある。そしてそれゆえ、制作は今の時代 「悪」とされてしまう。なぜなら、そのせいで人がウイルスに感染し、死んでしまうからだ。しかしながら、人は必然的に死ぬ存在だ。それは全人類に共通しており、また、皆わかっているはずだ。現代は命の価値が高いがために、簡単に死んではならないし、死は許されてもいない。しかし、人が死んでも「文化」は死なずに続いていく。ハンナ・アーレントというドイツの哲学者は『人間の条件』で「仕事(制作)」を個々の生命を超えて「永続」するものと主張した。今迄も、そしてこれからも人は死ぬ。文化はそういった個々人の死とは別に続いていくものだ。しかし、今は文化の「永続」よりも、個別的な生命のほうが優先されている。そういった時代にぼくたちは生きている。 

 オンラインはぼくたちの行動を「拡張」するのではなく、リアルではないバーチャルな空間に「閉じ込める」ことができる。つまり、ドゥルーズ的な空間の管理と捉えられるのではないだろうか。今、ぼくたちが制作をするためには「妥協案」としてリモートによって行うよりほかない。しかしながら、リモートで制作できるものには限界がある。そういった限界があるにもかかわらず、いかにもリモートが万能であるかのような言説が流布している。しかし、ぼくたちは「語られたこと」だけでなく「語られるかもしれなかったこと」も考えなくてはならな い。それはすなわち仮想であり、虚構でもあり、そして想像である。それらは2019年11月のロサンゼルスであったり、あるいはベトナム戦争帰りの運転手としてぼくたちの前に表れる。妥協案を妥協ではないものとしてしまうことは、クリエイティブであることから人々を引き離す。なぜなら、リモートには「偶然」がなく、そこには必然しかない。偶然の思いもしなかった出会いや発見こそが、クリエイティビティの源泉だった。 

 コロナウイルスの流行とともに、保守かリベラルか、被害者か加害者か、勝ち組か負け組かなどの分断的なゲームが今まで以上に加熱していった。こういったゲームは単純で、ただ勝ち負けを決めるだけに用意されている。しかしアートは、こういったくだらないゲームの外側にある価値を見出すためにあるのではないだろうか。あるいは、そういった勝ち負け以外の価値観を「発見」するためにあるのではないだろうか。そして、ぼくたちの大学であるICUで、自由に表現できる場として残されているのは、サークル活動だけだ。そしてそのサークル活動の中でも、ぼくたち映画部はゲームの外側を模索しながら、今自分たちにで きることはなにかということを考えている。アーティストとして、あるいはクリエイターとして、ゲームの外側を「再構築」したいという思いを宿した方々の入部を心待ちにしている。 【「映画部 きらきら星」より寄稿】

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