【コラム】Dear 明日の大学
|大学2年生のとき、とある懇親会の席でICUの北城理事長とお話をする機会を得た。「ICUは『明日の大学』と言われて設立されたのに、どうして古い建物に固執してるんだろう」。酒が出される席での発言を掘り返すのもどうかと思うが、理事長は「心底不思議」といった様子で建て替え問題で揺れる大学本館を評していた。筆者は当時から今に至るまで「『明日の大学』ってそういうことなのだろうか」と違和感を抱き続けている。
ここ数年の間、ICUでは多くの局面で変革がなされた。第二男子寮と第二女子寮は閉寮し、新々寮が開寮した。一般入試ではリベラル・アーツ適正が廃止され、代わりに総合教養(ATLAS)が導入された。制度面ではICU murasakiやkerberos認証、yamataメール、W3は順次廃止された。他方、本館建て替え問題に際しては反対運動が巻き起こった。ICU祭でミスコン企画が立ち上がった際には、企画に反対する共同声明が出され、全学で議論がなされた。前述の寮建て替えの際にも、慎重な議論が行われた。「明日の大学」というように、ICUはある一面においては変革に積極的である一方、他方では保守的である。その理由はなぜだろうか。筆者は、ICUの変革は「変革のための変革」ではないから、という一言に尽きると考えている。
献学以来、英語教育に力を入れてきたり、リベラル・アーツを掲げてきたり、少人数でのアクティブ・ラーニング・スタイルの授業を重視してきたり、独自の入試制度を採用してきたりしたのは、別に社会に迎合しようと思ったわけでも、話題を集めたかったからでもない。世界人権宣言に則った「信頼される地球市民」を育てる上の手段として導入されてきたのである。これは、近年「グローバル」や「リベラル・アーツ」を客寄せのために掲げている他大学とICUとの一番の違いであると考える。
少子化が進み、ただでさえ大学を取り巻く環境は厳しさを増している。そうした中で、グローバル化の流れを汲み、多くの大学がICUと類似した形態の学部を新設し、ICUの独自性は一見薄れてしまっているように見える。だが、筆者はそんな時代だからこそ、「時代がICUに追いついた」からこそ、焦って「変革のための変革」をしてはならないと強く思う。ICUが一貫して希求してきた価値を念頭に置き、そのためであれば平然と、当たり前のように変革を実践してほしい。「明日」とは何かを問い続ける点で、変わらないでほしい。卒業する筆者がこの大学に求める唯一のことである。