【新入生歓迎特集】なぜなに!? ICUの不思議

 2020年度となり、新学期の始まりかと思ったのも束の間、新型コロナウイルスの影響で春学期はまるごとオンラインで講義が行われることに決まった。この決定に肩を落とす学生も多いだろう。今回はそんな不運な新入生が、ICUとはどういう所かを理解するための一助になればと願い、筆者が面白いと感じたICUの歴史を3つ紹介する。

ばか山、あほ山はこうやってできた

 本館前にたたずむ2つの「山」。お昼時になればくつろぐ人の姿が多数見られ、ICU祭のマスコットキャラクターのモチーフに選ばれるなど、多くの学生から親しまれている。しかし実は、両山が作られた経緯には、当時、ICUの大学施設の入札を互いに争っていたレーモンド*¹とヴォ―リズ*²という2人の建築家の物語があった。図書館の建設に携わったレーモンドは、その際に掘り返した大量な土の処理をどうしようかと悩んでいた。そこで、仲の悪かったヴォーリズが再設計した大学本館を正面から見えなくしてしまおうと、余った土を大学本館前に盛ることを思いつき、2つの山が完成したのであった。両山自体の設計図も残されており、こだわりを持って作られたということが分かる。今は右側があほやま、左側がばか山だというのが通説だが、ID94のOB教員によると、昔は逆だったと言われる。実際に、ばか山発表会という呼び名も持つイニシエーションで舞台となるのは右側の山である。今一度の再定義が求められる。

*¹アントニン・レーモンド:チェコ生まれの建築家。帝国ホテル建築の際に来日し、その後日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残す。

*²W.M.ヴォーリズ:アメリカ合衆国生まれの建築家。キリスト教の伝道のために英語教師として来日し、伝道施設の建設を契機に日本で数多くの西洋建築を手掛けた。

本館建て替え問題って何?

 ここ数年、ICUで継続されてきた議論がある。大学本館は第二次世界大戦の頃に竣工した旧中島飛行機三鷹研究所の建物を買い取り、改築を加えて使用している建物だ。故に、すでに築70年を超えており、経年劣化による崩壊の危険性がここ数年のあいだ指摘されてきた。2016年2月、本館の建て替え案を盛り込んだキャンパス・グランド・デザインが公表されると、SNSなどを通じて賛否が相次いだ。しかし同年、コンクリート構造物の寿命に関する業界内の見解に変化があり、改めて本館のコンクリート診断を行ったところ、結果は良好であり、補修によって継続使用が可能かどうか検討がなされた。その後、数回開催されたオープン・フォーラムでは本館の保存の声が高まっていき、ICU理事会は昨年「技術的にも問題が無く、財政上の負担が許容できる範囲であれば、改修によって長期継続使用」していくとの方針を示した。ひと段落はついたが、本館の利用者の安全を考慮すれば、いずれは建て替えをすべき時が来るということは認めなくてはならないだろう。

財務理事による最新の方針:ICUの施設整備の現状と展望

存在しない学生会

 驚くべきことに、現状ICUには学生会と呼べるものが存在しない。大学献学当初、第1回の入学式から間もなく作られた旧学生会は、学生の意志を代表して活動していた。しかし、1960年代の学生運動の混乱に巻き込まれ、1966年に行われた次年度執行委員の選挙において、立候補者が誰も出なかったことから消滅した。その後は、同組織の役割の一部をクラブ代表者会議、ICU祭実行委員会、新聞会(1977年消滅。WGとは無関係)が担ってきた。現在、クラブ代表者会議は、同会議の公認する50の団体から代表者が立候補し、持ち回りで運営されている。一方で、ICU祭実行委員会は学生有志が運営しており、毎年決算終了後に解散し、全学生の過半数の署名を得ることで再び実行委員会として成立している。たびたび学生会の復活を願う声は上がり、2016年には新組織(現学生カウンシル)が発足した。今でも学生の意見や要望を集め、大学との間で協議する組織として活動を継続している。

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 いかがだっただろうか。ICUで過ごしていると、「なぜこうなっているのか」と、ふと疑問が浮かぶ。その時には、本稿で紹介したように隠れた歴史があることを思い出していただきたい。