実際どうなの 野尻キャンプ

 

 ※本記事は2019年、紙版新聞The Weekly GINATS に掲載したものです。

 

 学生食堂(以下、ガッキ)のThe Weekly GIANTSの冊子の脇、メニューを確認するといつも目に入るポストがある。そう、野尻キャンプ(以下、野尻)への参加応募ポストだ。野尻と言えば、歌う踊るが大好きだったり、社交性が抜群だったりする人のイベントだというイメージが強い。筆者も、それを理由に今まで参加してこなかった者の一人だ。しかし、今夏はそんな野尻にちょっとした理由から参加することになってしまった。本記事では、実際に参加した筆者が、未だ謎の多い野尻の実態を記したいと思う。

 筆者が野尻において感銘を受けたのは、主に以下の事柄だ。まず、自然と触れ合えるという点。否、自然と「触れ合う」というよりも「一体化する」という言い方の方が近いかもしれない。とにかく野尻に参加した者は、突然に電気や時間の概念のない場に放り込まれる。代わりにそこにあるのは、茂った草木やきらめく湖だ。普段は神経質な筆者だが、感覚が狂ったのか、シャワー後にあえて土に触れぬように歩いたり、外に出る時に靴下や靴を履く行為を疑うまでになった。というのも、文字通り「一体化」した場で、自然と自身とを区別することに違和感を覚えたからだ。自然が多いと言われる三鷹キャンパスでも、ここまで「一体化する」機会は中々ない。

 

▲ 野尻の美しい自然

 

 また、野尻のプログラムは学生スタッフによって考え抜かれた、かなり質の高いものであり、筆者はこれにも驚かされた。野尻における一つのテーマとして、自分と向き合うこと、他人と関わることが挙げられる。野尻では、プログラム、つまり環境を整えることで、殆どの参加者にこのテーマを実体験として提供することに成功している。例えば、瞑想のようなことをする為の時間や、くじによって決定されたランダムな相手と散歩して過ごす時間、少人数で火を囲んで今考えていることを話し、聞く時間などがあった。多くの人が感じることだと思うが、他人に何かを促すのは簡単なことではない。他人に間接的にその元となるきっかけを与えることが、私たちの限界だ。それを、野尻のスタッフは最大限に行い、結果、参加者がその経験をこうして話すまでに至るのだと思う。

  因みに、今夏筆者が野尻に参加することにしたのには、以下の理由があった。第一に、至って平凡な理由だが、参加することで友人を増やしたかったからだ。筆者の場合は、自身の交友関係が現在の状態で固定されてしまうことに危機感を覚えていた。大学に一年以上在籍していると、セクション、サークル、メジャーなどの場で、自身と比較的似た領域に属する学生ばかりと時間を過ごすようになってしまう。学外でもそうだが、ICUというユートピアにおいては特に、他の学生や教職員と交流することは魅力的だと感じる。そして、野尻参加への決め手となったのが、顧問である松田先生(法学メジャー)の発言だった。「ICUで創立時から理念を貫いている学生団体は、ICUグリークラブと野尻キャンプのみである!」 以上のような内容だったと思う。野尻の歴史は大学設立の3年後、1956年まで遡る。もし本当に60年以上に渡りその精神を受け継いでいるのならすごい、自身でそれを確かめたい、と筆者は率直に感じた。

 冒頭に書いた通り、存在こそ認知されている野尻だが、参加しようと調べても、意外にも情報が少ない。初めて参加する学生と教職員は、何をするか、どんな人がいるのか、どこに行くのかさえはっきりとわからない。それゆえに、野尻への参加を決めるのには、少し勇気がいるかもしれない。しかし、その長い歴史を持つという性格に反して、野尻は自由だ。野尻が自身に合う、合わないではなく、自身がいて野尻が形成される。つまり、毎年野尻は姿形をかえる。そのため、「昨年の様子」などという情報は提示しようがないし、実態など記すことができないのかもしれない。 長くなったが、ここまで読んでくださった皆様には、「軽い気持ちで応募しちゃおうよ」と筆者は勧めたい。無責任かもしれないが、間違いなくICUにいるうちに経験したいキャンプだ。【Sylvie】

 

▲キャンプの様子