大学生と介護 PartⅠ
―大学生の私が祖父を「介護」していると、周囲にはっきりと言えない理由―

 

 祖父は朝夕の感覚を失った。だから、真夜中に家中を歩き回ることがある。

「お願いだから寝てくれる? この調子だと私、もう耐えきれないよ……。」

 深夜三時半、そんな母の悲痛な嘆きも祖父は理解すらできない。

 薬が効いていると、脳が覚醒してしまうらしく、祖父はたまにこうなる。最近だと、「またいつものことか……。」と思えるのだが、このような症状が始まった当初、私も母も、どうして良いか全く分からなかった。―

 この記事では、大学生の私が同居する祖父を「介護」する中で感じたことや体験したエピソードについて記している。

 しかし、この記事を執筆したのは昨年12月のこと。正直、それから僅か2ヵ月ほどで、祖父とその周囲を取り巻く状況は大きく悪化してしまった。そのため、以下に記した内容をもう一度自分で読み返してみると、「やけにみみっちいことで悩んでいたんだな。」と思う箇所もちらほら存在している。恐らく感覚が麻痺しているのだろう(笑)。

 気づけば、祖父の介護は切り離そうにも切り離せない私の日常の一部となった。

おそらく、祖父が亡くなるまで、以前のような生活に戻ることはできない。最近は何かと、そんな受け入れがたい覚悟を迫られる場面も増えてきたように思う。

 今まで大学生の友人などに介護の苦悩を話しても、中々理解してもらえなかったり、時には単なる「言い訳」として認識されてしまい、全く取り合ってもらえないこともあった。そのため、この記事を執筆する中で、私の中には様々な葛藤があった。しかし、コロナ禍となり、家族のつながりについて考える機会が増えた今、多くの人にとって避けられない介護という問題を記事にすることはとても意味のあることなのではないか、とWG社員の方々から背中を押してもらい、実際にこの記事を掲載しようと決意した。

 「介護」はとても孤独な闘いだ。しかし、誰かを責めることなどできない。この瞬間も、若者だって、お年寄りだって、皆不安や苦しみを抱えながらも懸命に闘い続けている。

 だからせめて、これから記すことを「言い訳だ」なんて思わないでほしい。きっと、いつかは誰もが直面する話題なのだから。

 そしてもし、周りに介護や家族のことで苦しむ友人がいたら、せめて話だけでも聞いてあげてほしい。理解することは難しくても、「大丈夫?」と一言声をかけてあげるだけで救われる人間がいるということを忘れないでいてほしい。

 今日、私は20歳を迎えた。その節目にこの記事を掲載できることに喜びを感じている。この記事を読んでくださった読者の皆様に、介護や家族の在り方について考えるきっかけを提供できたのであれば、私はとても嬉しい。 【うじ】

 

――異変の始まり

 大学入学後しばらくして、同居する祖父の様子がおかしくなった。次第に歩くことすらままならなくなり、粗相をする回数も増えていった。曜日や時間の感覚は鈍り、会話もどこかおぼつかない。

 この頃から、我が家で祖父の「介護」が始まった。

 それから今に至るまで、我が家は祖父を中心に回ってきた。共働きの両親と大学2年生の私が、それぞれ交代で祖父のことを見守り、何かあればその都度対処する生活を一年近く続けている。

 そんな日常を送っているものの、私は祖父を「介護」していると周囲にはっきりと言える自信がない。その理由として、「介護」という言葉を使用することのハードルの高さと、周囲の「苦い」反応の二点が挙げられる。

 

――これは「介護」?

 まず、自らが行っている祖父への介助行為を、はっきりと「介護」に値するものだと言える自信がないという点だ。

 おそらく、「介護」という言葉から連想される被介護者のイメージは、夜に徘徊しないように見守られたり、食事やトイレなどの日常生活上の行為を補助されたりしている状態だと思う。しかし、今のところ祖父は拙いながらも自分でご飯を食べることができるし、(失敗することもあるが)トイレも自分でしている。

 私は今まで、高齢者介護の方法を全く学んでこなかった。そのため祖父が転んだときなどに、どのように体を支え、起き上がらせれば良いかすらも分からない。長い時間をかけ、やっとの思いで祖父の体を起こしても、「力がないなあ」と、祖父に文句を言われるのが毎回のオチだ。つまり、私には「介護」を行えるだけの十分な技能や知識が、不足しているのである。

 それゆえ、私は祖父の「お世話」をしているだけで、その程度のことで悩んでしまう自分はただ単に弱く、おかしな人間であるだけなのかもしれないと思うことすらある。実際、祖父のためになることはほとんど何もできていない。それにもかかわらず、自分が祖父の「介護」をしていると周囲に言い切ってしまったら、友人たちから「嘘付き」や「偽善者」のレッテルを貼られるのではないかと考えてしまう自分もいる。そう思うと怖くなり、(現状を言い表す言葉として)「介護」という言葉を使用することを、どうしても躊躇してしまう。

 

――周囲に相談できない

 今まで、周りに祖父のことを話しても、同世代の友人から共感してもらうことは難しかった。むしろ嫌な顔をされてしまったり、その人を困らせてしまってすぐに話題を変えられたりすることの方が多かった。その度に、自分が周りから取り残されていくような感じがして、落ち込んだりもした。

 もちろん、親身になって話を聞いてくれた人たちもいる。彼らには本当に感謝をしているし、その恩はいつか絶対に返したい。

 しかし、自分が置かれている現状と周囲の「介護」への認識に乖離がある。結局、周囲に話しても、その不安な気持ちを埋め切れず、理解してもらえないことすらある。その結果、私は周囲に祖父のことを相談することはもちろん、話題に出すことも極力避けるようになっていった。そして、いつしか悩むことすらもいけないことなのだと勝手に思い込み始めていた。

 

――祖父の病状を知ってから

 「大したことのない状態」であるはずなのに、とても不安で苦しい。そんな悩みを持ってしまっている自分自身のことを否定し続けることで、何とかその不安を乗り切っていくしかない状態が続いていたある日、私の認識を大きく変える出来事があった。

 祖父にパーキンソン病の疑いがあることが明らかになったのだ。パーキンソン病は主に運動機能に障害をきたす病で、場合によっては認知機能の低下を引き起こすことがある。現代医学では完治が困難とも言われる難病の一つだ。

 この事実を知り、新たな不安も生まれた。ただ同時に、祖父や両親が苦しんでいる原因が分かったことで、私の気持ちも少しは楽になった。ある意味、私の現状を「介護」に値する状態だと考えても良い明確な根拠が与えられ、自分を肯定された気分になったのだ。

 このことから、私は大学生の介護問題について記し、自分の体験を記事を通して共有することを決意した。もしかすると、私よりもっと苦しい思いをし、介護に疲れ果てている大学生はごまんといるはずだろう。だからこそ、気軽に読んでほしい。そして、「介護」とは何かという問いについて、考えてもらえると幸いだ。

 

――粗相の後始末

 私や両親が普段、祖父に行っている介助行為は、食事や服薬の補助であったり、通院の連れ添いをしたり、デイサービスの送り迎えをしたりと、いたってシンプルだ。その一方、私や両親がいつも頭を抱えざるを得ないトラブルがいくつかある。その一つが祖父が粗相をしてしまったときの後始末だ。

 祖父は便が間に合わなかったとき、すぐに助けを呼ばず、自分で解決しようとする。感覚が麻痺しているのか、どれだけ臭っていたとしても黙っていれば気付かないと思い込んでいるようだ。おぼつかない足取りで家中を歩き回り、汚れたところを掃除しようと試みるが、当然上手くきれいにできない。大抵の場合、物音や祖父の様子から私たちが気付いて早めに処理をする。しかし、、私が自分の部屋でオンライン授業を受けているときなどは、その異変に気づくことは難しい。そのため往々にして、周囲にその強烈な臭いが漂いはじめることで「またか……」と察するのだ。

 その際は一旦授業から離れ、マスクをした上で除菌シートを取りに行く。祖父があちこち歩き回ったことで、リビングから玄関に至るまで、我が家のほぼ全てが祖父の便で汚れてしまっているため、家中の床や壁をひたすら拭いていく必要がある。一回拭いただけでは不十分なため、何度も何度も家中を手作業で掃除する。

 それが終わったら、祖父が身に着けていたものや、便で汚れたタオル類などを全てゴミ袋にまとめて捨てに行かなければいけない。しかし、その間にも祖父はあちこち移動し、また家中が汚れてしまう。加えて、私が祖父の汚れた衣服などを処分しようとすると、「汚くない!」と駄々をこね始めるため、祖父を何とかなだめてから、もう一度家中を除菌・消臭する。いつもこの作業の繰り返しだ。

 粗相の後処理を何とか全て終え、部屋に戻ってパソコンを開くと、既に授業は終わっている。受けるべき授業を受けられなかった罪悪感に苛まれてしまう。肩を落としているのも束の間、また祖父が何事も無かったかのように部屋にやってくる。「雨なのに洗濯物を取り込まないなんて気が利かないなあ。取り込んでおけ」。そういうとき、私は感情をどこに吐き出して良いのか分からない。湧き上がる思いを抑え込むことしかできない。― 

PartⅡへ続く   【うじ】