【紙版掲載記事】寛容はリベラルのものじゃないよ
|寛容であることは当たり前に正しいように感じる。人間の権利は平等に認められるべきである。差別や不平等には納得がいかない。テレビで流れる、同性婚に対して不寛容な議員が当選して万歳を叫んでいる状況は受け入れられない。私は、自身が寛容であると疑いもしなかった。実際に私には寛容への意志があった。それでも、私は寛容であり得なかった。ジェンダーに関する授業を履修しようが、世界人権宣言に署名しようが、私は寛容になれなかったのだ。
ジェンダー問題における強者としての私 – 不寛容
数年前、自身の思いを寄せた人の性的指向の対象に、実は私が含まれていなかったという経験をした。勿論、多様な性的指向があるということは知っていた。しかし、ヘテロセクシュアルの傾向にあった私は、自身が好意を寄せた相手がそもそもヘテロでないという設定など実際には頭の片隅にもなかった。相手からカミングアウトを受けた際に、はじめに私は自身の存在を「女だから」と一般化した相手に腹が立ち、また私の存在しないノンヘテロの世界を求める相手は私を拒絶、排除しているという様に感じた。きっと多くの人は、一度自分の求めた相手に拒絶されたと感じると中々その感情から逃れられない。私は女である自身に嫌悪感を覚え、しかし同時に今まで親しんできた同性愛モノの文学や映画も避け、寛容とは程遠い日々を送った。それまで、カミングアウトした子どもを受け入れられない親など信じられないと考えていた。しかし、世間や自身の常識に裏付けされる勝手な期待によって、他者に裏切られたと感じることは想像以上に容易であった。
車道社会の弱者としての私 – 不寛容に不寛容
一方で、私は例えば原付やバイクに乗る機会を通して、弱者として不寛容に寛容でいられないということを実感する。車道では皆それぞれ行先は異なるが、同車線の自動車はすべて同じ方向に、同じように向かっている。原付やバイク、軽自動車やバン、トラックと私たちは様々な立場と事情を抱えている。しかし、同じゴールに向かう我々は、すぐに競争し、またすぐに他者に対する嫌悪をむき出しにする。原付を運転していれば、幅寄せや無理な追い越しは勿論、あおられるのは日常である。怖い思いをして、ミラー越しに運転手の顔を覗く。彼らは大抵携帯電話かテレビを見ていてこちらを気にしていない、或いは仕事の疲労がたまった顔をしている。車道という社会で、原付は問答無用で弱者である。原付の制限速度は30キロなので、車道のレースに勝てる見込みはない。また、自動車と異なり身体がむき出しなので、接触事故等の際には容易に怪我をする。私の圧倒的な社会的弱さを寛容に受け止めてくれない、車道社会がある。社会的強者は弱者を目に留めない。私はこの不寛容に対して、自身の身に危険を感じる。寛容でない彼らに対して我慢がならない。
それでも、車道社会において「不寛容で危険な彼ら」に対して、私は「BABY IN CAR」や「前後方録画中」のステッカーを貼る気にはならない。個人的に一部のフェミニズムを想起させるその行為は、相手の不寛容の延長にあるような気がするからである。予防線を張ることで厄介は、自身が一方的に傷つけられることは回避されるかもしれない。しかし、彼らと同様に不寛容の土俵から声を発せば、自身の不寛容さが露呈されるように感じられるのだ(とは言え、私の不寛容さは既に明確である。ジェンダーに関する経験でもわかるように、「不寛容で危険な彼ら」とは正に私自身である)。不寛容に不寛容で対峙したとしても、それは互いの主張のぶつけ合いであり、対話は始まらない。
ただ、ここで忘れてならないのが、私はいつでもこの車道社会を降りられるという点であろう。多少不便にはなるが、私は原付に乗ることをいつでも止められる。私はそのために他者や自身への愛をあきらめる必要はないのだ。
学問(リベラル)以外の、寛容への道
個人的な経験から、寛容自体の困難、そして寛容が抱えるパラドックス(寛容であるためには、不寛容に対して不寛容にならなければならないという矛盾)を乗り越える困難を私は実感した。
この困難において、学問は寛容になるための方法ではあり得る。それは、自身と異なる価値観や存在があるということ、つまり自身の限界をはっきりと示すからだ。また、学問における人間には、自身にとって未知のそれらを理解したいという、意志だけは見える気もする。しかし、寛容の対象が実存に揺さぶりをかけるとき、きっと多くの人は寛容ではいられない。
では、何が寛容の基盤となり得るのか。私の経験から言えば、それはキリスト教信仰、あるいはそこで経験され得るような絶対的な愛であった。キリスト教信仰においては、神からの絶対的な愛を受けることで自己の存在が肯定されている。この自己愛は、自身と異なる存在である他者を受け入れるための土台となる。隣人を自身のように愛するとき、そもそも必要とされるのは「自身を愛する」ことができるという点だ。この意味では、リベラルアーツという、自身を未知に放るような無謀な学問への挑戦において、キリスト教信仰というものも有効であるのかもしれない。Cコードも一概には否定できないだろう。
ただ、ルドルフ・ブルトマンが信仰による奇跡は個々人によって異なる(他者から見た場合、神から誰かに施された奇跡は意味を持たず、むしろ不正義である)と説いたように、この愛の経験は個人による。私は自身を徹底的に見捨てない絶対的な愛を、友人から偶然に受けることができた。友人は、私が何かに失敗しても、やけくそに人を傷つけても、静かに信頼を寄せて見守り、対話をすることを諦めなかった。彼によって愛を与えられたことで、私は彼のするような美しい行為を他者にできたらと考えるようになった。実は、その彼もまた違う友人にそうして愛を授けられていたのであった。
アルバイト先のガソリンスタンドの社員も、愛がどういうものなのか知っていた。彼はじゃれあっていた部下に「お前ゲイかよ」と、リベラルには認められないような言葉をかけるが、彼らを見ていればそれが愛からきていることだとわかる。車道を走るカブの郵便局員は、すれ違った同僚に満面の笑みで声をかける。愛はそこら中にある。実は、寛容や隣人愛は理論よりももっと手前にある。確かに、大学における学問は私にとって寛容への思考の入口となった。しかし、思考や哲学は明らかに不十分なのだ。少なくとも、寛容は大学卒のリベラルのみが偉そうに語ることのできるような、気張ったものではない。
キャンパスが遠のき、他者との本質的な関わりが希薄になりがちな今、寛容は学問や理論によってのみ語られていると感じられる。コロナの影響とは言い切れないが、利他的な行為などあり得ないといった意見が目につく。私は幸いにも、大学の友人と心から愛を分けられるような経験をした。それは、7限後に狭い汚部屋の換気扇の下で肉とビールを分け合い、東八沿いのガストで朝まで議論をし、台風の夜には共に上野のアダルト映画劇場に行ったからだろう。既述のように、皆が同じかたちで愛を受ける訳ではない。それでも、何か観念から飛び出した愛や「寛容」が、キャンパスや講義で見られたらと切実に願う。【Sylvie】
※本記事は、先日発行の紙版The Weekly GIANTS 1256号より再掲載されたものです。
形式を当てはめてはいけない、という形式に陥ってしまうことは恐ろしいと最近感じる。
哲学を志す自分は実はとても愚かなのではないかと思わされてしまうこともたまにある。
学問なしに愛にあふれた人間にもしなれるのなら、学問などそもそも必要ないな、とも強く思う。