【SEAプログラム体験記 2017】McGill University編

今から約三ヶ月前、私はカナダにいた。理由はお察しの通り、SEAプログラムを利用した短期留学である。研修校はモントリオールに位置するマギル大学。当時の記憶はまだ新鮮だ。そうそう、現地でサポートしてくれる人にケビンが3人いて、最初はとりあえず大きさに基づいて紹介された。大きいケビンと中くらいのケビンと小さめのケビン。大学の最寄り駅について、まずその話で笑った。あの時は、まだ右も左もわからず、笑い声もぎこちなかった。

あれからずいぶん時が経って私は今、日本にいる。忘れないうちに、記憶がまだ色を持っているうちに、少しでもあの日々について書き残したいと思う。あのぎこちない笑顔が、別れを惜しむ涙に変わるまでの、自分至上一番短かった6週間を、この記事を読む人に少しでも感じてもらえたらと思う。

マギル大学は、イギリスの情報誌「The Higher Education」が発表する世界大学ランキングの上位に毎年食い込む世界屈指の大学だ。「カナダでマギルの学生証を見せると周りの人の表情が変わるの」、とあるクラスメイトは教えてくれた。今の自分の学力では到底入学できっこない、雲の上にあるような大学に通っていたわけである。SEAプロの協定校の中でも目立って人気があるのも頷ける。

世界屈指の大学は、校舎を見てもレベルが違う。ICUが広すぎてもう三鷹の森から出るエネルギーがない、なんてそんなことは言っていられない。とにかく広い。正直、どこまでが大学でどこからが街なのかよくわからないままSEAプロは終わった。ちなみに2012年にマギル大学は、アメリカの大手旅行雑誌「トラベル・アンド・レジャー(Travel + Leisure)」誌による世界で最も美しい大学キャンパスベスト17」の一つにも選ばれている。

私たちは留学生向けのプログラムに参加したため、残念なことにマギル大学の学生が通う建物とは別の建物に毎日通うことになったわけだが、そこのエスカレーターを上がったところにある自動販売機の生絞りオレンジジュースが、格別だった。お金を入れると、機械が複数個のオレンジをその場でザックザックと切っていく。砂糖は不使用、なのに驚くほど甘い。6週間を使って、あの自動販売機の売り上げにICU生は大きく貢献したはずだ。

SEAプロの他の多くの研修校の授業が午前中に終わる一方で、マギル大学での授業は午後の3:30まで続くため、比較的長い。事前に受けたプレイスメントテストの結果によって分けられた自分のレベルの授業を受けるので、「文法なんて中学レベル、SEAプロは楽勝」というような一部でささやかれている噂ともまた違う。要するに大変だった。少なくとも個人的には勉強は辛かった。しかし課題を全て終わらせた時の達成感を振り返ると、あれも悪くなかったと思える。予期せぬ「短い青春」だったと言えるような気さえする。

大学外でのことについて言えば、電車の路線が最高にわかりやすく、便利だったのが印象に残っている。全区間乗り放題の定期のようなものを一度買ってしまえば、もう何も気にせずどこにだって行ける。あるのは青、オレンジ、黄色、緑の4色の路線だけ。東京の路線図を見せたカナダの人たちが声をそろえて「Wow クレイジー!」と言ったのも無理はない。

一方、日本人の私から見てカナダのクレイジーだった点は、フェスティバルが好きすぎるところだ。どこにも行きたくない凍えるような冬を知っている彼らにとって夏はパラダイスらしく、街中でフェスティバルが絶えず行われていた。中でもICU生がこぞって行ったのは「Jazz Festival」。駅から出ると屋台がずらっと並んでおり、訪れた人たちは聞こえてくるジャズに酔いしれつつ、ホットドッグを頬張り、ハイネケンを喉に流し込む。すっかり見慣れたあのおなじみの緑のビールをハイネケンと読むことは、日本に帰ってから知った。

カナダに向かう以前は、6週間という期間はとても長く感じられた。英語の上達がどうこうという問題以前に、6週間異国で暮らすのは私にとって想像もできないようなチャレンジに思えた。しかし6週間は、泣きたくなるくらいあっという間だった。ここだけの話、「日本シック」にもホームシックにもならなかったが、日本に帰ってからの「カナダシック」は深刻だった。帰国後、自宅で目が覚めて「あ、我が家だ」と自覚した時のなんとも言えない切なさはまだ覚えている。SEAプロのあった今年の夏は、私のこれまでの人生の中で一番非日常的な、夢のような夏だった。辛くて、楽しくて、キラキラしていて、一瞬だった。わざわざ大金を払ってまで思い出作りに行ったのか、と言われてもなんだか反論する気になれない。なぜなら、実際にSEAプロはどうだったかと聞かれたら、「最高の思い出でした」としか言いようがないからだ。あのキラキラした思い出を、「英語上達へのステップでした」なんて言えっこない。ただ、秋学期が始まってしょっぱなから遅刻した1限の授業で、深く考えずに英語がすらすらと口から出た時、「あ、自分は変わったかもしれない」と、少し思った。