ICUからチビチリガマへ折り鶴を! ボランティア企画者の胸の内
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72年前の沖縄戦で「集団自決」が起き、85人が犠牲になった沖縄県読谷村のチビチリガマ(住民が避難していた鍾乳洞)が荒らされているのが9月12日に発見された。幸い犯人は逮捕されたが、犠牲者の家族を始めとして、多くの人に傷あとを残すこととなった。私事ではあるが、筆者も今年3月にチビチリガマを訪問し、戦争の語り部の方のお話を伺う機会があり、事件に対してはやるせない気持ちを抱いた。
そんなチビチリガマに、ICUから千羽鶴を送る企画を立ち上げたのが、ID18の福田和子さんだ。福田さんは2年生のときにICU平和研究所が主催している「沖縄フィールドトリップ」に参加し、チビチリガマを訪れたことがあり、その経験が今回の企画を立ち上げる動機になったという。今回は、企画を立ち上げるに至った詳しい経緯や、福田さんの胸の内をお聞きすることができた。(内容は再構成済)
――まず、沖縄フィールドトリップに参加された経緯を教えてください。
私はこれまで3回沖縄に行きました。そのうち勉強のために行ったのは2回で、1回目は中学生のとき、2回目は一昨年度の平和研究所主催のフィールトリップのときです。元々、私は人々が虐げられたり、傷つけられたりしてきた歴史にものすごく敏感で、興味を持っていました。そして、そういった歴史を学び、今に、そして未来に活かすことってとても大事なんじゃないかって思ってきました。そういう意味で沖縄と沖縄戦は私にとって本当に大きな存在で、沖縄の地にいまだ眠る遺骨の収集もずっとしてみたいと思ってるくらいなんです。まだその夢は実現していないのですが。
そういう訳で参加したフィールドトリップだったのですが、その中でも一番記憶に残ったのがチビチリガマだったんです。チビチリガマは遺族の方々にとってお墓のような存在でもあるので、普段は中には入れません。なので、ガイドの方には入り口のところまで案内していただいて、そこで当時の状況等についてお話をうかがっていたんです。でも、ちょうど「中には入れない」と言われたそのときに中から人が出てきて! 実はその方が、ガマの中を紹介できる数少ない現地の方だったんです。そんな訳で私たちはたまたま中に入れていただくことになりました。
その中というのが本当にじめじめしていて、小さくて、暗くて、140名が避難していたというには余りに想像を絶する場所でした。中にはいまだにメガネやお弁当箱といった日用品から、集団死の際使われたであろう火炎瓶、カミソリ等が残っていて、そのまわりには時間が経って黄金色になった骨が無数に転がっているんです。最期は火の海、血の海になったという当時の状況を考えると本当に心に来るものがあって、普段は写真をしょっちゅう撮る私も、このときばかりは一枚も写真を撮れませんでした。
その中で、とくにひとつ忘れられないものがあるんです。真っ赤な櫛と、可愛い花柄のあしらわれた白粉です。「どうしてそんなものがここに?」と思いましたが、ふと考えてみると、きっと私も、どんな状況になっても口紅とファンデーション、鏡は絶対持って逃げると思いました。そう思ったときに、少しでも幸せを感じていたいとか、なるべくきれいでいたいとか、そういう人の根本的な思いとか在り方って、それがたとえ戦中であっても、どんなに厳しい軍国的教育をうけても、変わらないんだな、変えることはできないんだなってすごく感じたんです。持ち主の彼女はきっと、また髪をとかして白粉をつけて可愛くできる日を心待ちにしていただろうなとか、この壕を生きて出て、また太陽の下可愛くお化粧できたんだろうかとか、もしここで息絶えたなら、さぞ無念だっただろうなとか、本当に色々なことを考えてしまって。70年という時間や世代や世相の違いが、一気に消えてしまった気がしました。そういう意味で、チビチリガマは私にとって、決して忘れることの無いだろう大事なことを教えてくれた、本当に大事な場所だったんです。
――そんな中でチビチリガマが荒らされたニュースをお聞きになって、どのように感じられましたか?
本当に悲しくて、やりきれませんでした。でも、これであの場所が壊れたまま風化されてっていうのは、一番起きちゃいけないと思ったんです。とくに犯行に及んだのが地元の若者ということで、地元の方々の落胆は本当に大きかったと思うんです。だからこそ、同じ若い世代の私たちが「この壕であったことは忘れていませんよ」「ここから学んだ平和の大切さはそう簡単に消えるものじゃありません、私たちが消させませんよ」っていうメッセージを示すことが、すごく大事だと感じました。
そういう経緯、思いがあって考えついたのが、破壊されたもののうちにあがっていた千羽鶴を送ることでした。平和研究所に掛け合ったところ快くサポートしてくださり、管財の方や他の先生方のご理解もあり、実行するに至りました。
平和研究所前と本館に折り鶴募集用の箱と折り紙を置き、折り鶴を回収するのが主な活動内容ですが、先週の金曜日には平和研究所が定期的に開催している「ピースカフェ」の一環として、一緒に鶴を折りながら沖縄戦について学びを深める時間を持つことも出来ました。募集はひとまず今週の金曜日までですが、その後は中心メンバーで千羽鶴の形にし、現地に届けたいと思っています。
――最後に、活動に対する意気込みや、メッセージなどありましたらお願いします。
私たちの世代は、戦争自体は経験していないものの、戦争を生き延びた方々の声を直に聞くことができる最期の世代といっても過言ではないと思います。だからこそ、「実際に戦争を経験していないから」と口をつぐむのではなく、なんとかその中でも次世代に繋げてゆく、そういう思いや行動が必要なんだと思います。今回の企画がそのひとつのきっかけになれば、その結果として今回の件で傷ついた方々を少しでも励ますことが出来れば、と思います。
折り鶴は今500羽近く集まっています。皆さんのご協力に心から感謝します。1000羽まであと半分、是非ご協力お願いします!
――ありがとうございました。
インタビューを通して、福田さんの「自分と同じ『若者』がガマを荒らしてしまった」ことに対しての忸怩たる思いと、だからこそ「状況を良い方向に変えていかなければならない」という使命感が強く印象に残った。お話にもあった通り、現在平和研究所ではERBの2階の研究所(ERB-257)前と、本館エレベーター横で10月13日(金) まで折り鶴を募集している。また、13日の12:40~13:50、ERB I-247でみんなで千羽達成を迎える会が行われる。詳しくはICUポータル上のお知らせを確認していただきたい。