文学・アメリカ研究 大西直樹先生 インタビュー ICUのこれまでとこれから

今年の3月をもってICUを退職される先生方へのインタビュー企画。今回は、特任教授の大西直樹先生に、研究分野であるアメリカ研究や文学、昔と今のICUの違い、そして今後のICUについてお話を伺った。(インタビュー記事は再構成済み)

▲大西先生の研究室にて

――まず先生の専攻、研究分野の変遷についてお話をお願いします。

イギリス文学からアメリカ文学へ
僕がICUに入学したのは1968年で、その頃はアメリカ文学は日本ではあまり広まっていなかったと思います。高校時代にはアメリカ文学がどういうものか想像がつかなかったんです。 高校が新宿にあったので紀伊国屋書店によく寄っていたのですが、そこで英米文学の棚を見るとT.S.エリオットの本が沢山ありました。それからジェームズ・ジョイスもあるし、ドイツ文 学もヘッセとかトーマス・マンとかが盛んでしたね。それで、ドイツ文学にしようか、又はフランス文学でもいいなと思いながらICUに入ってきたのですが、ICUは入った途端に英語の社会だから、そこで英文学をやってる先生に会うわけですよね。それでもアメリカ文学に全然関心を持たずにいましたね。結局、私は17世紀のミルトンの “Paradise Lost” を中心に勉強したんです。これがまた難しくて、本当に苦労しました。勉強するにはラテン語も必要で、ホメロス、 ウェルギリウスなどの叙事詩の練習をしないといけませんでした。

僕はジェネードをスキップしていきなりケンブリッジ大学出身のイギリス人の先生の授業に出ましたが、大変でした。オープンリールというテープレコーダーを家から抱えてきて、授業を録らせてもらうのですが、全く聞き返す時間がないんです。まあそうやって英文学をずっと勉強することになりました。しかも一番読みにくい “Paradise Lost”という作品を選んでしまった ので、2年生の夏休みに家で毎日読んでいました。その時に、斎藤和明先生に「OED(筆者注 :Oxford English Dictionary)を使わないとだめだ」と言われて。Shorter Editionという2巻本になっているものがあるので、それをどんどん引きながら読んでいました。このときに英語力が飛躍的に伸びたと思います。そうして、卒論は “Paradise Lost”についてでした。今考えてみる と、卒論で “Paradise Lost”をやる人なんていないと思うんですけどね。

大学院でもミルトンについて研究しようと考えていました。奨学金を得てアメリカの Amherst Collegeに行った時も英文学をやろうと思っていたので、向こうの英文学の先生にどんどんついてミルトン、シェイクスピアやラテン語も学んだりしてたんですよ。ところがその大 学にレオ・マークスというすごい先生がいて、その人の授業が衝撃的でした。その頃自分は、 アメリカ文化は面白くないだろう、イギリスにいった方が良かったと思っていたのですけれ ど、急に眼が開けました。ある時、図書館のAmerican Studiesのコーナーに寄ったらものすご く沢山の本があって、どれを引っ張り出してみても面白そうでした。そこからアメリカ文学の授業を必死で取るようになりました。だからアメリカで学ばなければ当然アメリカ文学はやらなかったと思うし、面白さも分からなかったと思います。それで、日本に帰ってきて周りを見 てみると、日本でアメリカ文学をやっている人って、実はアメリカを知らないで文章だけ読んでる人が多くて。何やってるんだろうなって。学会に行っても全然つまらないと思いましたね。だから、むしろアメリカ人の先生と連絡を取り合ったり、日本に来てるアメリカ文学の専 門の先生にどんどん会って、結局アメリカ文学をやろうと思ったんです。

詩人エミリー・ディキンスンの研究とアメリカン・スタディーズについて
Amherst Collegeのあるところは、エミリー・ディキンスンの町なんです。ディキンスンにつ いてはICUで授業を取ったんですが全然分からなくて、本場に行っても分からないままだった。だから彼女について本気で研究しようと思ったのは、ほんの10年くらい前からですね。その頃ICUでは学際研究が盛んになっていて、文学研究をやっていながらアメリカを全然知らないのはおかしいのではないか、ということがよく言われました。それでアメリカの宗教、歴史、社会、人種などについて勉強する専攻を作らないといけないと言うので、立ち上げていっ たわけです。だからAmerican Studeisを教えないといけなくなり、文学研究から急に初期の 「アメリカの出来上がり方」について授業を持つことになりました。そういうことをさせられ る文学の先生って日本にはいないと思うんですけど、ICUはリベラルアーツカレッジだからや らざるを得なかったし、自分もやらないといけないと思いました。社会とか宗教を知らないで文学のテキストを読めるはずないと思ったので、自分としては矛盾なくやりました。でも考えてみると他の大学では、ある作家だけを専門にしている人がほとんどですから。そういう人と 比べると、American Studiesをやることになって専門が広がったというか、薄くなったかもし れないというジレンマもありますね。だけどICUはアメリカの有名な研究者や学者がよく来るところで、驚くべき人が次々に来ましたから、すごく刺激を受けました。特にアメリカの宗教学の重要な人はほとんど来ていると言っていいと思います。アメリカのトップスカラーたちが 来るのはICUなんですよね。マーティン・マーティー、ロバート・ベラー、ハーヴィー・コッ クス、そして最近では、デイヴィッド・ホールなどなどです。
結局日本人の盲点みたいなところが沢山見えてきたわけです。アメリカでみんなが研究して いるのに、日本では誰もやっていないのではないかという部分が沢山見えました。特に初期のアメリカについてはほとんどやってないです。だから斎藤眞先生と一緒に「初期アメリカ学 会」というのを作りました。独立から19世紀の頭くらいまでの学際的な研究をする学会です。 そこは今でも非常に面白いですね。 そして、段々ディキンスンという人が面白いと言うことが分かってきて。ところが、研究し ている人がまたすごくめちゃくちゃなことを言っているので、ディキンスンを守らなきゃいけ ないという気持ちになってきました。つまり多くの日本人研究者はほとんど宗教史の勉強なく ディキンスンを読んでるわけですけれど、彼女は本当に宗教色の強いところで育っていますので、”Dickinson without Christinainty”なんて考えられないわけです。でも日本人研究者は平気で それをやってるんです。だから何とかエミリーのために守ってあげなきゃいけないと思って。 学会の会長もやったりしながら今に至ってます。
またAmerican Studies の中で、アメリカはものすごく宗教的な国なのに、政教分離を言って いるのは何故なんだろうと思いました。未だにクリスチャンの国なんだけど政教分離を唱えて いて、でも本当に政教分離できているのかとも考えました。世界で初めて政教分離を憲法で立 ちあげてしまう国ですから、どうしてそうなったかということを勉強していくと大変面白いで す。特にベンジャミン・フランクリンがどう考えていたかとか。そうやって考えると、イギリ ス的あるいはヨーロッパ的なものからアメリカ的なものがどう分かれていったか、その分かれ 目が僕にとっては面白いんです。同じ英語で喋っていて、同じキリスト教なんだけど、どうし てアメリカでは変わってしまったのか。その条件や必然性とか、そうでなければならなかった 意味とか、政教分離のテーマでよく見えるので非常に面白い。そのことを考えていくと、ディキンスンの社会の理解にも役立つ。色々やってるんだけど、結局同じことをやっていたのかと いう感じに今ではなっていますね。

  

――ICUでの研究を振り返って印象に残っていることはなんですか。

沢山あります。ICUはカルチャーショックだったと思いますね。何がカルチャーショック だったかと言うと、先生が人間味があるというか、親しいというか。色々と心配してくれたこ とです。先生との関係において、他(の大学)ではありえなかったようなことが沢山起こった と思いますね。当時は1学年に200人いなかったんです。学生紛争が繰り返されていましたか ら、それでやめた人もいたと思うんですけど。何しろ、キャンパスにいる人の顔はみんな知ってるという感じでしたね。先生もスタッフもみんな知ってる。だから、海外にいくとICUの人 によく会うんですよね。ボストンで信号の向こう側に友だちがいたとか、そういうことがよくあるわけです。逆説的ですよね。少ない人数だからこそ、外に行くとよく会っちゃう。

それから、昔の学生さんがよく勉強したとは思ってないのですが、中には狂ったように勉強している人が結構いました。その人たちは本当にすごく勉強していて刺激になりました。特に 西洋古典をやっている人は、ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語やフランス語も勉強していますから、凄いなと思いました。ラテン語だって、他の大学だったら1年かかることを1学期でやっ てしまうんですから。ICUの授業は月・水・金の週3回ですが、他の大学は週1です。週1で やっていることを週3でやっているから1学期でできてしまうんです。友達ですごく勉強してい る人がいて、そういう人がみんな国立大の教員になっているというのは他の私立大ではちょっ とない出来事です。同じ16期生で大学の教授になっている人が沢山いますね。僕のセクション で博士号を持っている人は4人いるんですよ。みんなよく勉強する人たちが集まっているとは思 いますよ。

ICUの良いところ

僕はICUの良いところは登録制度だと思います。1学期に13と3分の1単位しか取れないとい うのは凄く良い。上限がないという大学がほとんどですから。取りたい放題取って授業の途中でやめていってもEが付かない。先生の方でも学生さんがいなくなっても仕様がないと思って いるんですよね。そういう登録制度で動いているところでは勉強できないと思う。

 

――ICU を長く見てきたからこそ分かる、昔と今の違いはありますか

メジャー制について

これは社会全体が動いていっているから仕方がないのだけれど、やっぱりパソコン・ スマホ時代になってしまっているので、本を持つことがなくなってしまったわけでしょう。僕は本を貯めるということがまず大事だと思っていて、 一生懸命買ったわけです。でも今はもう、テキストを買ってくださいと言っても買わない人もいるし、スマホでテキストを読めます けどなんて言う人もいるわけですからね。そういう社会現象と同時に起こっているのは、いわゆる文学系の学問に対して「何の役に立つの?」という風潮ですよね。それは ICU にとってはもったいないと思うし、文章を読む力とか書く力というのはスマホでは上手くいかないのではないかと思うんですよね。それで、文学部系が日本中で相当衰退して、僕が集中講義に行っていた大学もやめにしちゃうんですよね。予算がつかないんでしょうね。取る人が少ないという か。昔のICUは学部のなかに学科があったでしょう。学科では人数に定員があったわけです。 例えば人文科学科では、文学系か思想系か芸術系の3つに分かれるわけだから、そこにまた定員 があるわけです。どうしてもどこか入らないといけないから、定員がゼロになることはないわ けですよ。ところが今の31のメジャーになってしまったら、メジャーの定員がない。ゼロではないにしても、ほとんど卒論を書く人がいないメジャーが出てきたわけです。そして一方で、 膨大な人がメジャーにしているところがあるわけじゃないですか。専攻を決めないで入れるけれ ど、入ったら一応決めなきゃいけないからとりあえず専攻している。そこが、メジャーの姿をとっていないわけですよ。メジャーするにはどういうことを勉強して積み上げるかというのではなくて、単なるいろんなものを雑多に集めたメジャーがあるわけじゃないですか。それは学問と全然関係がないわけです。そこが ICU の中心になっているというのは相当深刻な問題で、 一言で言うと ICU の学生さんのタイプがチャラくなっている。昔はもう少し深刻に人生を 捉えていた人が多かったと思う。それは言えると思う。

メジャーと就職

昔の学生さんで文学をやって、コンピューター会社で働いたり銀行で偉くなったりしてる人もいるので、いわゆる「企業」に就職するには、卒論でやっていることと就職でやっているこ とは直に繋がらないはずだと思っています。例えば銀行だったら経済学とか財政学をやった人をとりたいかと思っていると、そうではないっていうことを僕は言いたい。そうじゃない発想を持っている人の方が面白くて、例えばコンピューター会社だったら、コンピューターをほとんど知らない人を自分のコンピューター会社のシステムに吸収して作り直した方が、新しい発 想が出てくるわけですよね。そういう風に考えるだろうと僕は思っているのだけれど、みんなはそうは思わないで就職に便利なメジャーとなってしまうわけですよね。それは少しつまらないなと思うんです。大学は職業学校ではないのだからと思いますね。

少人数教育

ひとクラスの人数はせいぜい5、60人ぐらいにした方がいい。本当に少人数でコツコツやっ ていかなければいけないと思うし、それで育てられたことは良かったなと思っているので。 ハーバード大学にリーブで行った時に大きな授業を覗いてみましたけれど、1000人ぐらいの大 きな劇場でやっているんです。そうじゃなくてやっぱり10人、20人じゃないと良い授業はできませんよね。まず採点ができないですよね。200人のペーパーを読むと言ったらそれだけで嫌 ですからね。そうなったらもう試験が簡単になってしまうばかりじゃないですか。明日から夏 休みという時に採点をする先生の身になって考えてみると、なるべく採点は簡単にしたいと思っちゃうわけです。
あともう一つ違ったのは、(昔は)読書会が結構たくさんあったんですよね。学生同士で行 なったり先生に来てもらったり。あとはオープンハウスがもっとたくさんあったと思う。先生の家に行ったり先生の家で授業があったり。もっとすごかったのは、コンピューター社会の前 ですから、この授業を何日にやろうかということを集まって決めるんです。月水金にすると 誰々さんが来れないから月火金にする、とかね。そういうことが平気でなされていた。密度はもっと濃かったと思う。オープンハウスは学生さんもあまり行きたくないと思うのかもしれな いし、あと教員の方も人が来ると大変ですよね。昔よりオープンハウスの機会はずっと減っています。

――現在の ICU 生に伝えたいことやアドバイスはありますか。

567を取るのはやめたほうがいい。どうして567がいけないかというと、非常勤の先生でしょ う。非常勤って僕もやっているけれど、あまり厳しい授業をしません。迫力が違うと思いますよ。あとは人間関係ができないから。卒論とも関係ないし、質問しても先生は早く帰りた いんじゃないかと思ってしまうし。だから、講演を聞くような授業を聞いてもためにならない と思う。567は穴埋めみたいな感じになっているので、それだけで授業を構成していたら学問を専門的に深められません。あと、専攻が決まる前に早く留学した方がいい。専攻を決めてからそれにあう留学先を求めるのではなくて、なんでもいいから早く出てしまった方がいいと思います。もっと面白い学問にぶつかるかもしれないし、専攻で絞ってから行くとその大学に別に有名教授がいても取らなかったりするわけでしょう。どの大学にも有名教授は数人はいるはずで、そういう人にぶつか ると全然考え方は変わります。だから専攻を決めないうちに行った方がいい。大学院に入ったら留学しようというのもちょっと遅すぎると思う。普通の人は専攻が決まったところに行くの でしょうけれど、早く行ってしまった方が言葉のためにもいいし、オープンマインドネスを作 るためにもいいと思いますね。

ICU はたくさんの可能性を開いているわけですよ。学生さんに一番言いたいのは、アドバイザーにどんどん会いなさいということです。全てのアドバイザーが良いアドバイスをしている とは限らないので、自分のアドバイザーが嫌だと思ったらすぐアドバイザーを変えなさい。アドバイザーチェンジをどんどんしても構わないと思う。成績をもらう時にちゃんとアドバイス をしてくれないアドバイザーは、変更した方がいいと思います。また、大学は教員のアドバイ スの仕方をちゃんと教育すべきだと思います。よく、成績を渡すだけで何も喋らない人がいると聞くのだけれど、そういう人は ICU 向きの教員ではない人ですね。色々な窓口があるので、 専攻をするにはどういう本を読んだらいいとか、留学するならどういった方面を狙った方がい いとか、英語の勉強するにはどうしたらいいとか、そういったことを先生にどんどん聞いた方 がいいと思います。そのために週2回はオフィスアワーをしなければならないことになっている のだから、どの先生でもドアを叩いて色々聞いて行ったらいいと思うのだけれど、ほとんどし てないですよね。それはもったいない。学生さんを見ていると、気が付くのが遅れている人は たくさんいる。例えばエクスチェンジを逃してしまうとか Seaプロ を逃してしまうとか学芸員課程を逃してしまうとか、オルガンのレッスンを逃しちゃうとか色々あるじゃないですか。それから一般の公開講演もたくさんありますよね。ああいうのも、つまらない他のことのために出ないというのは本当にもったいなくて。それぞれ人生を変えるかもしれない話になっている可能性が高いのに、もったいないですよね。チャペルアワーとかはちょっと驚くような話をし ている人もいますから、やっぱり出た方が良いのではないですかね。人の話を聞くというのは 面白いですよ。

今後のICUについて

今後のICUについて言えば、相当に受験者数が減ってるじゃないですか。高校のモデル授業 に行っているのですが、そういうところで話すと、「面白いな」と言ってくれる人が3、4人は いるわけです。知った人は面白がるんだけど、もうちょっとICUの良さが伝わるようなことを 広範にしないといけないと思うんです。私は広報センター長をやった時に、学生さんが自分の母校に戻って、進学指導の先生にICUの面白さを話してもらうプロジェクトを立ち上げま した。なにしろ、進学指導の先生が ICU を除外するという傾向があるわけですから、それを崩 さないと受けさせてくれないわけです。進学指導の先生が、「あの子が ICU に入って面白がっ ているならこのタイプの子もいいんじゃないか」という風に、考えてくれるようなことをする のが一番近道じゃないかと思うんです。すごいボトルネックがあるわけですよ。「国公立を受けるために勉強しなさい。 ICU はやめたほうがいいですよ」、という風に言われる人がたくさ んいるんですからね。特に地方に行けば。だからそこをどうやって突き崩すかです。出身校に 在学生が帰って先生を説得するという仕事をしないといけないと思う。または高校の後輩に 「やってみたら」ということをもっと言ってもらわないと。受験生はもうちょっと減ると相当 危機的になると思いますね。それを深刻に考える時期に入って久しいですよね。改善できるなら何十年も前からやっていたのだろうけれど、全然改善しないですよね。 調べていると、浪人している人が気づいてきてくれるケースが多いんです。高3までは気がつか ないわけ。浪人して「どの大学いいかな」とか、予備校行きながら色々考えたらここが面白い と気がつく人がいるわけです。予備校狙いもしないといけない。そういうアイデアを集めて動 かないと人口減と同じ割合でどんどん減っていってしまいますね。メジャー制をやめて、前みたいな学科制に戻して定員を決めてやらないと、文学系メジャー はほとんど立ち行かなくなると思います。

   

――高校でモデル授業に行った時はどんなお話をされているんですか?

ICU の特徴を話したくなってしまうわけですよ。あまり学校の宣伝はしないで下さいと言われるけれど、やはり他の大学と ICU はどう違うかということを話さないといけないと思うの で、「3学期制ですよ」とか「中間期末があるから年に6回試験があるんですよ」とか、「前期と後期で学期末だけ年2回しか試験をしない授業をやっている他の大学と比べると、どう思いますか」というような話をするわけです。あと、英語の講読だけの授業がある大学がほとんどでしょう。90分で5ページぐらい読む授業を15週間続けると、1年30週間で150ページぐらいしか 読まないじゃないですか。そんな英語をやったって何にもならないという話をします。こうした授業は今、日本で現実にあるんですから。だから、 ICUがやっていることってずば抜けていると思いますよ。日本で初めてということがICUでたくさん起こっている。それが当たり前に なってしまっているので、ありがたさが分かっていないけれど。 やはり、一番考えないといけないのは少人数教育の方が良いということですよね。日本では受験者数が多い大学が良いと考えられるわけじゃないですか。でも全然関係ないですよね。全然関係ないということを高校生はどうしてわからないのかな、というところから入りたいです ね。オープンキャンパスの時、「リベラルアーツラウンジ」として教員が座っているのだけれ ど、高校生は来ないのです。「怖いから大学の先生に会いたくない」と言って。むしろ ICU 生 のキャンパスツアーに行ってしまう。そうすると歩くだけだけれど、教育の仕組みが違うんだ という話をちゃんとした方がいいんじゃないかな。建物とか食堂とか、そんな話をしてもしょうがないと思うんですけどね。そこが歯がゆいですよね。僕は、高校生をあえて手招きして話 をするけれど、そうすると高校生はすごく驚いて、入学式の時、「あの話で受けることに しました」と挨拶に来る人が何人もいます。でも、実際は「リベラルアーツラウンジ」にはな かなか高校生は来なくて、教員は一日中本を読みながら待っているんです。ツアーをやっている人たちが高校生を連れてきて、先生に会わせると良いと思うのだけれど。

  

――ありがとうございました。

(追記)大西先生の後任に決定していた外国人教員の来日が不可能となり、アメリカ文学関連 のクラスは来年度一年間、大西先生が担当することになりました。