香港デモ――香港に留学中のICU生はどう切り抜けたか

 8月末から香港の大学に留学していたWeekly GIANTS Co.記者2名がそれぞれデモの影響を受けて学期途中で日本に帰国するという事態に陥った。Aさん(仮名)は香港中文大学に、Bさん(仮名)は香港大学に留学中であった。今回は、二人にインタビューを敢行し、留学先での生活や、突然の学期終了への対応についてお話を伺った。(※インタビューは再構成済み)

――香港中文大学では、どういう状況でしたか?

A:11月11日には、私が履修している午前の授業が始まる10分前に休講が伝えられました。その時は単に休講になったことを喜んでいたのですが、その日の昼頃から雲行きが怪しくなりました。夜9時頃には20人程の黒服の学生が、学内にある私の住む女子寮に入ってきて、「武器!武器!」と騒ぎ立て、消火器や棒を持っていきました。その後自主判断で外に出たのですが、私の寮から徒歩4分くらいのスポーツフィールドが戦場になっていて、そこでは学生が火炎瓶などを作っている最中でした。私の大学は山の中にあり、スポーツフィールドから坂を上の方に向かったところには、私が住んでいるのとはまた別の寮があるのですが、そこには血だらけの人が沢山いました。その中には、私の知り合いもいました。そこから、大学の敷地に隣接している駅の方角に向かうと、黒服の人々がずっとバケツリレーをしていました。おそらく、水の入ったペットボトルや、火炎瓶用の瓶や油、それに服を運んでいたのだと思います。服は火炎瓶の着火に使えるほか、警察が抗議者識別用の色のついた液体を噴射するので、着替えるためにも使えます。しばらくしたら寮に戻り、その日の夜は3時間ほど寝ました。12日の昼間には、親や国際交流室*¹の方と連絡を取って、日本に帰ることを決めました。あまりの混乱に13日には、香港中文大学から学期の終了が宣言されました。14日早朝に空港に向かい、昼間には飛行機に乗って、日本には夜7時頃に着きました。

国際交流室*¹:ICUの留学担当事務所

――大学に隣接する唯一の駅の機能が麻痺している中、大学からはどのように脱出しましたか?

A:大学が空港まで行けるシャトルバスを、大学から数キロ離れた住宅地に用意していました。そこまでの道を寮のルームメイトに教えてもらい、学内の山道を登った先にある門から出ました。しかし、そこら中にレンガが落ちている上に、学生は外で眠って待機していて異様な光景でした。1時間歩いてもバスターミナルに着きそうになく、疲れてしまったので、途中からUberを手配して直接空港へ向かいました。

――荷物は全部持って帰って来られましたか?

A:持って来られないですよ。現地に置いてきたスーツケースにも、一応荷物を詰めて整頓はしてあります。私は14日に帰りましたが、15,16,17日にかけて寮から学生が締め出されたそうです。帰りなさいと。一応、締め出されることは事前に通告されていました。

――香港大学はどうでしたか?

B:香港大学は敷地面積が小さいので、香港中文大学であったような大規模集会などはなかったのですが、学内で座り込みや集会はありました。また、レノン・ウォールといって、ICUの本館にもポストイットで意見を貼る掲示板のようなものがあったと思いますが、それと同じようなものが学内にもありました。香港大学は地下鉄駅と大学が直結していて、利便性も高いので広く使われています。しかし、地下鉄の運行会社は親北京派の香港政府に協力していると見なされているため、最近は「党鉄」と呼ばれており、学内では「党鉄を使うのをやめ、バスに乗ろう」みたいなことが言われていました。香港大学は、11月11日から13日まで休講で、13日に「今週は全部休講、市街地から離れたところにキャンパスを構える医学部等を除き、学内の教育活動は全くしない」というアナウンスがありました。そして、16日に学期終了の連絡が来ました。

――香港大学にも警察は入って来ましたか?

B:大学に警察が来るのではないかという噂はしばしばありました。11月11日から3日間に渡る「三罷」という、ストライキ、授業ボイコット、商店休業を掲げるデモが市内で始まりましたが、当日の11日の早朝には学内に武装した警官が来ました。報道によると、警官は大学に逃げた学生を学内まで追いかけて逮捕したそうです。香港中文大学で同様なことがあったときには、学生の数が多いということもあって、両者が衝突しました。

――なぜ、警察が大学の中まで入って来てしまったのでしょうか?

B:少なくとも、香港大学においては、大学と警察の協定があって、大学は私有地であるという性質上、警察は入らないということになっています。ただし、大学当局の発表によると、逮捕などの緊急時に限っては許可なく入ることができるそうです。なので、交通の妨害に当たるとされる行為を行なった人間を逮捕するために、学内に警察が立ち入ることは合法とされているらしいです。警察への反感が高まり、大学にもついに魔の手が下りるのではないかという緊張感に包まれつつある中、警察は実際に学内で抗議者を制圧したのです。

――11月の香港では具体的にどのような抗議活動が行われたのですか?

B:11月11日からは大規模な「三罷」が行われ、大きな影響を及ぼした交通不協力運動その一環として始まりました。この運動では、抗議者が電車のドアに故意に挟まって鉄道の運行を妨害していたり、線路にものを投げ込んだりとか、市民を仕事に行かせないということをしていました。また、中文大学のすぐ横を走る高速道路にも机や椅子が投げ込まれ、交通に大きな影響が出ました。どの程度影響が出たかは知りませんが、交通が妨害されることで、広範なダメージが経済に加わります。また、現に大陸からの観光客に大きく依存する香港の観光業は、抗議活動の影響で大きなダメージを受けたという報道が現地ではされています。

――なぜ経済へのダメージが注目されているのですか?

B:中国にとって香港というのはある程度地位が低下しているとはいえ、比較的重要な立場にいるので、香港の経済がダメージを受ければ、同時に中国もダメージを受けると香港では考えられています。香港で昨今よく聞く「死なばもろとも」というフレーズはその考え方を象徴しているのではないでしょうか。

――学期が途中で終了したということですが、その後どのように対応したのでしょうか?

A:その期間の授業で扱う資料は電子資料として送られてきています。オンライン上で期末試験を受けたり、レポートを提出したりします。期末試験は自分で始まる時間と終わる時間を決めて受けます。それらが全て終わると、ICUの国際交流室を経由して私に成績に関する連絡が来るそうです。

B:香港大学でも同じです。

――留学はこれからも続けるのでしょうか?
A:私は留学を中断して、ICUの冬学期を受けます。
B:私は一度ICUに帰って冬学期の履修登録を済ませていますが、また香港大学に戻って後期の授業を受けるつもりです。(1月17日追記:Bさんはすでに香港に渡航し、新学期が始まるのを待っているそうだ。)

――戻るつもりなのに、なぜICUで履修登録を済ませる必要があるのでしょうか?

B:留学先である香港大学の機能が正常に復活するか分からなかったからです。ICUで冬学期を受講するというのは、3つの選択肢の内の一つでした。1つ目は留学を取りやめて日本に帰る。2つ目は、留学を継続して香港に残る。3つ目は私が今やっている、香港に戻るか未定にしておくという名目で、香港にも行くつもりだけどICUで履修登録もするというものです。

香港に留学中の学生にあてられた学長レター

――香港に留学してどうでしたか?

A:新しい環境で勉強をすることができて、すごく良かったです。

B:私は留学前から香港に関心があって、卒論も香港のことについて書くつもりです。そのため、日本にはない資料を集めるために、香港の大学に留学することは必至でした。それに香港の文化も好きだし、香港の人々も素敵な人ばかりなので、出来ればもっと香港にいたいなと思います。

――日本での香港の報道についてどう思いますか?

B:日本でテレビ番組に出演している評論家が「暴力は良くないよ」と言うのをたまに見ますが、香港ではある程度の実力行使が、市民全員からではないにしろ、比較的広い層から許容認されているという実情はあります。その原因の一つとして、実力行使が効いたという実績があるとからです。おそらく、実力行使に対する許容度がもともと広いというのもあるのかもしれませんが、当初複数回開かれた平和的な大規模デモに対して政府は譲歩しませんでした。結局のところ、7月1日の立法会突入に代表される実力行使は逃亡犯条例の撤回のような効果があったということから、実力行使というのはある程度価値があるということが認識されたのではないでしょうか。香港大学のキャンパス内には数多くのスローガンがスプレーで書き込まれていますが、私が見た中には「平和じゃ何も変わらないということを教えてくれたのはあなたたちだ」というフレーズもありました。また、なぜ抗議者が実力行使に出なければいけなかったのか、という構造的背景にも目を向けることが重要なのではないでしょうか。香港の政治史の重要な側面、例えば香港がイギリスから中国へ統治権が移譲されたとき、広汎な香港市民の意見が反映されることはありませんでした。今日の政治システムでも、いまだに普通選挙(universal suffrage)が全ての選出プロセスに導入されている訳でもありません。このように、香港市民が主体となって政治に関われることが少なかったということを考慮すると、市民の政治に対する不満がここまで高くなってしまったことには理解の余地があるのではないでしょうか。なので、テレビの画面に映っている断片的な情報のみで「香港が燃えている!」と解釈するのではなく、もっと歴史的背景と共に、今日の情勢も理解するべきです。みんながみんな抗議者の意見に賛同できるわけではもちろんないと思いますが、今日の状況の背景を理解して、なぜ香港社会が今日の様相に至ってしまったのかというところを考えることくらいはできるはずです。少なくとも広く香港について語るのであれば、それくらいの努力はするべきです。

――ニュース等を通して香港について知ろうとすることはできても、実際に行動に移すことは難しいように感じます。日本にいる私たちには、何ができますか?

B:結局のところは、理解するということが一番良いと思います。じっくりと香港について学んでから、何をするべきなのかまた考えてみてもいいのではないでしょうか。

――ありがとうございました。