WG社員が選ぶ!
「おすすめの一冊」
―新春編―

 

 皆さん、明けましておめでとうございます。2021年の記念すべき一本目の記事は、前回の続編「WG社員が選ぶおすすめの一冊」です。コロナ禍の今だからこそおすすめの名作も続々登場します。気になった作品があれば、是非手に取ってみてください。

 

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
(文藝春秋)

 「大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた」

 図書館で何気なく手に取った一冊だが、冒頭のこの一文に引き寄せられ、そのまま一気読みした。突然、親友たちから縁を切られ深く傷ついた主人公が、その傷を癒していくまでの物語だ。この物語は、大学時代に受けた傷の話を、16年後に恋人へ打ち明けるシーンから動き出す。

 「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない」 恋人の台詞だ。

 「それだけは覚えておいた方がいいわ。歴史は消すことも、作りかえることもできないの。それはあなたという存在を殺すのと同じだから」

 人は表面を取り繕いながらも、それぞれ違った思いを隠しながら生きている。深い悲しみを抱えていたとしても、それを打ち明け解決することは簡単ではない。けれども、一度受けた心の傷は、隠せても消し去ることはできない。その傷を本当に癒すことができるのは、人間同士の対話なのだ。

 コロナ禍で家にこもり、一人悩む時間が増えた方も多いと思う。そんな方にぜひお勧めしたい一冊だ。 【まっくろくろすけ】

 

サルバドール・プラセンシア『紙の民』(白水社)

 筆者が初めて本書を手にしたのは、アルバイト先の古書店で本に値札をつけていたときだった。淡い水色の繊細なカバーに浮かび上がる、銀色の表題と土星の絵。意味の分からないポーズの指と図形が並べられた、何の説明もない目次。どれだけ多くの本があっても埋もれない、そのデザインに魅せられて「ジャケ買い」した。

 本書では、メキシコに住む家族のうち、自分の寝小便が原因で妻に家を出ていかれた男が、娘とカリフォルニア・エルモンテに移住しようと決意する。しかし、花摘み労働者として働きながらも強い自責の念に駆られる父親は、いつも自身を上から傍観し楽しんでいるような何か大きな存在ー「土星」ーに怯えていた。いつしか、彼はEMFという集団を組織して、この物語の著者、つまり彼の人生の主導権を握る「土星」に戦争を仕掛けていく……。

 少し変わった設定の本書だが、このストーリーもただ単調に語られるのではない。「彼女はあばら骨と泥の時代の後に作られた」ーー本書は最後の「紙の民」がアントニオという一人の男の手によって作られたことを記して始まる。次にナレーションは「土星」、最後の「紙の民」とティファナ行きのバスで出会う少女「リトル・メルセド」、メキシコにてプロレスの試合を30分後に控えた「サントス」へと分かれる。また次の頁には「リトル・メルセド」がその父親「フェデリコ・デ・ラ・フェ」と訪ねた、「ロテリアの読み手」が語り手として登場する。そんな風にして物語は進行し、気が付くと頁は多すぎる幾つもの視点で構成されている。

 本書は、著者の創り出す世界が紙面上に記されているというより、実際に登場人物に囲まれてその世界の内で揺さぶられているような感覚を読者に覚えさせる。加えて、それら複数の視点を組み込んだ斬新なレイアウトでは、語り手の言葉がだんだん薄く見えなくなったり、登場人物が「土星」から逃げようと頁が塗りつぶされたりもする。著者のこんなにも豊かな想像力と、その世界を表現する力。レイアウトを通して物語と書籍とが密着して一体となっている本には中々出合えないものであり、私は大変感激させられた。

 著者のサルバドール・プラセンシア(1976~)はメキシコで生まれ、8歳でロサンゼルスへ移住。本書を発表した後に「世界で最も独創的な作家50人」*¹に選ばれ、その後はカリフォルニアで文章について教授しているという情報があった。今のところ彼の唯一の作品である『紙の民』は自身の経験に加えて、同氏が何度も読み返したという、G・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』に影響を受けていると考えられている。

 昨年の4月に、桜もまともに見られないまま、一人暮らしで初めて過ごした春を多彩なものにしてくれたのが本書だった。本書の舞台・エルモンテの温かい地に実る果実と、なぜか空から降ってくる花々に励まされて、気を確かに過ごしたいと思う。  【Sylvie】


*¹「世界で最も独創的な作家50人」:アメリカの文芸誌Poets&Writersが2010年に特集。ガルシア=マルケス、村上春樹ら世界の有名作家に並んでサルバドール・プラセンシアの名が挙げられている。

 

中村哲『アフガニスタンの診療所から』(ちくま文庫)

 2019年12月4日のことだった。35年にわたってアフガニスタンの人道支援に携わってきた中村哲医師が、同地で凶弾に斃(たお)れたのだ。イスラーム圏に関心を持っていた私にとっても、中村さんの死が衝撃的であったことは言うまでもない。

 中村さんの現地における尽力は、形ばかりで一時的な「国際協力」ではなかった。そもそも、カラコルムの自然と蝶に魅せられた中村さんは、現地の人々と共に「人間」として生きてきたのである。「『国際協力』は自分の足元をみることからはじめるべきである」(196頁)。アフガニスタンに腰を据えてきたからこそ、「国際協力」を旗印に恩着せがましく、「途上国」に土足で踏み入る「先進国」への中村さんの目線は厳しい。

 コロナ禍の今、日本を見つめる機会が自然と増えてきた。「一隅を照らす」。今だからこそ、本書のメッセージはひときわ深く重く響く。  【棟梁】

 

オルダス・ハクスリー 『すばらしい新世界〔新訳版〕』
大森望訳 (早川書房)

 ディストピア小説は、本来わかりやすいものだ。抑圧、思想統制、監視と密告。ジョージ・オーウェルの『1984年』を読めば、誰しもが「こんな世界は御免だ」と思うことだろう。

 しかし、ディストピア小説の金字塔と言われる『すばらしい新世界』はそう簡単ではない。そこで描かれる世界の住人は皆、なんの憂いもなく、幸せな日常を送っている。人々の心理は、自分の境遇を幸せに思うように、出生前の段階から巧みに操作されている。結婚や家族などの従来の人間関係は全廃されており、孤独や嫉妬は存在しない。もし何か悩むことがあれば、すぐに人体に害のない麻薬を摂取してトリップする。思想統制は確かに存在するが、それに気付く者はほとんどいないし、誰も困りはしない。「最大多数の最大幸福」が実現されているこの世界が、なぜ「ディストピア」なのか、端的に指摘するのは容易ではない。

 科学技術の飛躍的発展によって、誰しもが安楽な生活を送れる世界。それは、まさに産業革命以降の近代文明が追い求めてきた「ユートピア」にほかならない。1932年刊行の『すばらしい新世界』は、そんな「ユートピア」像に疑問を投げかける作品だ。主人公は、幸福な世界になぜだか馴染めずにいる男。その男と、文明から取り残された荒野で育った「野蛮人」を中心に、物語が展開する。

 私たちの目指し続けてきた「ユートピア」は正しかったのか、「人間らしさ」とは何か、読者は否応なく考えさせられる。

* * *

 私がこの小説を読んだのは、辛いことを続けて経験したときだった。私の不幸には外的な要因もあったが、それに加えて「幸せ」じゃない自分の人生に我慢がならず、それが私を苦しめていた。そんなときに、この作品は、人間は常に幸せでなくたって良い、悲しみや怒りがあったって良いのだということを私に気付かせてくれた。以来、人生が少し楽になったように思う。ディストピア小説やユートピア小説を読むことは、すなわち私たちの人生や幸福について考えることだ。人生に行き詰まったとき、その経験は私たちに多くの示唆を与えてくれる。【RN】

 

森本毅 『苦しかったときの話をしようか ―ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」―』
(ダイヤモンド社)

 本書は、かつて経営危機にあったUSJを数年で再建した、日本を代表する豪腕マーケター・森岡毅氏が就職活動中の娘に向けて書いたものである。マーケティングの考え方(フレームワーク)を、就活や人生設計にどのように応用していくかが書かれており、キャリアに悩むビジネスマンや学生、全ての人に役立つ本になっている。

 本書の前半部分では、我々の生きている世界の構造や、自己の強みをどのように理解し、どう生きていくかといった著者のキャリア形成論が述べられている。そして後半部分では、著者自身の経験談や失敗談と、そこから得られた教訓が生々しく語られている。

 娘に向けて書いた手紙がベースとなっており、本音で語られているのが本書の特徴である。読み進めていくと、父から子に向けた愛情がひしひしと伝わってくる。それと同時に、その愛情が現代を生きる悩める人々へのメッセージにもなっているのが本書のすごいところだと思う。本書の中で「学校では教えてくれないが、人間は、みんな違って、極めて不平等である」と著者は語っている。そんな人間である我々は、「欲」をエネルギー源とし、「競争」を構造として社会を発展させていく「資本主義」の世界の中で生きている。だからこそ、周囲と異なるユニークな点に早く気付き、その強みをお金を稼げる職能にまで育て上げることが重要である。不確実なことの多い世の中でも強みを選択し、たくましく人生を生きていくべきだと勇気づけてくれる。

 本書は、新型コロナウイルスの影響で予定していた計画を実行できず、オンライン授業や外出自粛といった慣れない環境の中で出会った一冊である。単なるビジネス書ではなく、示唆に富み、勇気をもらえるハートフルな一冊だ。キャリアに悩むあらゆる人におすすめしたい。【あまちゃん】

 

鶴見太郎
『イスラエルの起源ーロシア・ユダヤ人が作った国ー』
(講談社選書メチエ)

 2020年がコロナの年であったことに異論の余地はないだろう。

 だが、2020年はコロナばかりに終始しないように思える。スレイマーニー司令官の暗殺を皮切りに、前年から続く三度の組閣失敗に伴う総選挙、アラブ諸国家との国交樹立やイランの核科学者殺害など、話題に事欠かない国があった。イスラエル(と米国)である。2020年は、イスラエルの年でもあったのだ。まさに本書は、タイミングよく出版されたと言える。

 パレスチナ紛争を抱える軍事国家イスラエルは、突如として現れたのではない。本書は、その淵源をロシア・ユダヤ人に求め、彼らの複雑なアイデンティティのバランスに着目する。ナチスによるユダヤ人の大量虐殺の存否にかかわらず、イスラエルの安全保障観は築かれたという本書の指摘は興味深い。

 いまや、軍事のみならず文化・芸術でも最先端を行くイスラエル。その始まりには、自己のアイデンティティの位置取りで揺れ動いた、ロシア・ユダヤ人たちの存在があった。 【高橋義信】