第1回 誰も借りてくれない本を読んでみた —『世界の読者に伝えるということ』

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この連載は、「なぜ考古学系の本が残ってしまうのか―『誰も借りてくれない本フェア』でも借りられなかった本を借りてみた」という記事を担当した筆者が、ブックレビューを書いて3冊の書籍を卒業させるコーナーである。まずは上記の記事を読了してから、本連載を読んでいただければ幸いである。

筆者が、「誰も借りてくれない本フェア」に関するコラムの最後で、「自身が「卒業」させてしまった本のブックレビューを書く」と宣言したのを覚えているだろうか。
「あなたに借りられた本たちは、きっと幸福に違いありません!」
「是非レビューを!」
そんな図書館員の方々の熱意に圧倒されて借りてしまった、3冊の本。その中で、今回は河野至恩著『世界の読者に伝えるということ』という1冊をご紹介しよう。

 

日本発の文化を世界の読者の視点から見る

「なんでわかってくれないの!!!!」
あなたもきっと、家族や友だち、恋人などに対してこのようなことを言ったり、思ったりしたことがあるはずだ。思わず態度や言葉に表してしまったことで、相手との関係性が悪くなってしまったこともあるかもしれない。

実は今、日本政府や民間企業など「クールジャパン」を筆頭とする日本文化を世界へ売り出そうとする側と、ジャパニーズポップカルチャーを海外で享受する側との間に、同じような亀裂が入っているという。

本書の筆者である河野は、アメリカやドイツで比較文学を専攻し、東浩紀の『動物化するポストモダン』を英訳した、日本における比較文化研究の第一人者とも呼べる存在だ。彼によると、日本が発信したい日本文化と、海外が求める日本文化との間にミスマッチが起こっており、日本側の努力むなしく、予想したほど海外の反応が良くないという状況であるそうだ。

では、なぜこのような残念な結果になってしまったのだろうか。
それは、「世界文学」的視点の欠如が原因だと、河野は述べている。

 

「世界文学」って?

皆さんは、世界文学という言葉をご存知だろうか。

世界には、1つの物語が長い年月をかけて読み継がれ、さまざまな言語に翻訳されたり、メディアを変えて発信されたりして、ありとあらゆる人々に親しまれている作品がある。翻訳のされ方も、原作に忠実なものから大幅に改変されたものまで多種多様だ。皆さんの中にも、オリジナル作品と翻訳やリメイクなどを比べ、その違いに驚いた経験のある方も多いのではなかろうか。

私たちは、文学作品を読み解く際、作品の書かれた地域や文化的背景、歴史的背景などに注視して読むことが多いはずだ。また、作品の本質や文学的意味は、その作品が生み出された瞬間に決定される不変なものだ、という考え方も根強いだろう。

それに比べ、世界文学では、世界各国で翻訳されリメイクされた文学作品を「世界の読者」の視点で読み解き、その作品の持つ普遍的な意味を見出す。もちろん作中には、訳す際に失われてしまう細かなニュアンスもあるだろう。しかし、さまざまな形に作り変えられ、地域も文化的背景も異なる人々が読んでもなお失われることのないメッセージこそ、その作品の普遍性を証明しているのである。

河野は、世界文学的な視座を持って1つの文学を読み解くことで、価値観の対立する人々が作品を通して異文化を知ることができ、相互理解も進むとも述べる。

 

普遍的な「文化」は存在しない

文化とは、言わばある特定の地域や民族などの中でのみ発達した「常識」のことである。自分たちの中だけで通じる常識を、異なった文化を持つ人々に対して押し付け、理解しろと迫ったところで、拒絶されるのは当たり前だ。あなたの中の価値基準を全く知らない相手に対し、ただ「わかってよ、わかってよ、なんでわかってくれないの」とわめいても、相手からの理解は得られない。

しかし、「どうせわかってくれないから」と口をつぐみ、自己発信を諦めればよいというわけでもない。自分たち以外には分かるはずもできるはずもないという、視えない他者への失望と、他者には不可能な行為が自分たちにはできるのだ、という自己満足感に浸っていても、単に相手との溝を深めているだけである。

日本が日本文化発信でつまずいている理由は、このような自分中心の視点から抜け出せていないからだ、と河野は語る。

 

自分の常識は他人の非常識?

世界中の人々が日本文化に触れられるようになった現代、「自分と同じ常識を共有していない世界の人々に、自分の考えをわかりやすく伝える」技術が今まで以上に必要となってきた。

日本は、もっと日本自体から世界へと視点を転換し、文化や言語などの特定の価値基準に縛られない「世界文学」的な考えを大切にすべきなのかもしれない。世界文学の立場からアプローチすることで、他者が持つ価値観の共有や理解に繋がる。そして、「世界の他者から見た日本」も認識でき、世界が日本に何を求めているのかも明らかにできるのだ。

日本が自国の文化をより深く研究し、理解するのも大切であろう。しかし、日本が伝えたい文化や歴史を海外へ発信するためには、相手が何を考え、何を求めているのか、といったことを認識しなければならない。相手を知ろうとすることによって、日本文学のみならず、日本文化を世界へ効果的に発信していけるようになるのだ。世界文学的視点は、相互理解と自己理解のためのキーなのである。

 

こんなICU生におすすめ!

本書には、世界から日本文化を考察する際に必要な立場の紹介として、ICUのメジャーでもお馴染みの「日本研究」や「カルチュラル・スタディーズ」、さらに「比較文化研究」などの学問的意義についても触れられている。これらの分野を学びたいと考えている学生にとっては、自分がこれから専門にする領域に関する理解を深めるためのよいツールとなるのではないだろうか。


タイトル世界の読者に伝えるということ
著者河野至恩
出版社講談社現代新書
出版年2014年

 

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