[紙版最新号掲載記事]人生22年目、初めて全盲の人と友達になる。 三好里奈さんインタビュー【後編】
|※この記事は前、後編の2本に分かれていて、このページは後編です。
太郎:とりあえず、今まで聞いていて突っ込みたいところも色々あったけど、元の質問の4つ目に行きます。「(障がい者としても一生徒としても、どちらの立場からでも構わない)ICU生に知って欲しいこと、伝えたいこと、なんとなく思うこと、などあるか。(日常生活でどれくらいのことが自分でできるかなどについてのよくある誤解などでも) 」
里奈:(前述の本の共著者の)石田さんがYouTubeとかやってて。Yukari Channelってやつで。それで、例えば歩行のことで言うと、白い杖を持ってて、経験と練習で、ある程度いける、自分で歩けるようになります、みたいなこと言ってた。(自分も)初めての道は、人にも全く聞かないで辿り着けるってことはなかなかないけど、でも練習すれば、道を覚えれば辿り着けるし。あと、日常生活とか、料理とかも、それこそ練習すればできるから。あと学習でも、テキストデータの話とかもしたけど、読める形にしてもらえば、読んでレポートも書いたりとか。できないところは人に支援されながらやってるから、練習と、人の支援と、あと何だ、デバイスの力を借りてって感じなのかな。そうやれば、ある程度、視覚障がい者、まあ視覚障がいって言っても色々あるけどね、とりあえずできるんですよっていうのが言いたいのと。
えーっと何、すっごい具体的だけど、これ言わなくてもいいけど、点字ブロックの上に、とっきどき自転車とか停まっているのね。それはちょっとお控えいただきたいです、ってのはある(笑)。
太郎:あーまあ、確かに(笑)
里奈:えーーーー。知ってもらいたいこと。むずかしー。とりあえず今私はすごく楽しいです(笑)
太郎:あー、なるほどー。ちなみに今思いついた質問なんだけど、その石田さんの本読んでる時に、ICUの中に最近結構点字ブロックができてきてて、それに対して「点字ブロックがあって色々揃えるからあとは自分でやってくれ、みたいな意図を感じて嫌だ」って石田さんが言っていたのが結構印象的で。
里奈:あー、おー。
太郎:なんか、そういうのって、率直にどう感じるのかなって。
里奈:えー。そりゃもちろん石田さんと同じように、そんなことないんだよって言いたいし、どんな助けが必要かっていうのを聞いてほしいし、こっちが言ってるのを聞いてほしいなってのは、ある。けど、私ICUに入ってすごい思うようになったのは、今まで私のことを誤解されているっていうか、ちょっと合わないなって感じる人がただ単に嫌だと思っていたけど、そうなっちゃうのってその人が自分のことを知らないから? っていうのもある(のかなと思う)。(その人が)性格悪いとかあるかもしれないけど、知らないっていうのはすごい大きいことだし、なんかさ、社会がそう知らせるようにできてないのかもなとも思うから、そこはちょっと大変でも伝える努力はしたいっていう気持ちはあるー、かな。まあね、自分にも言いたいし相手にも言いたいことだけど、やっぱり思い込まないことは大事だよね。あと知ろうとすることみたいな。
太郎:あーなるほどー。これで用意していた質問は終わりなんだけど、俺が今聞かせてもらっていてすごい思ったのは、最初の質問「どういう経緯でICUに来たか」とか。本読んでたからっていう理由もあるのかもしれないけど、支援が充実しているとかそういう理由が最初に来ると勝手に思っていたから。なんだろう、里奈さんの持ってる色んな障がいとか考えれば、障がいがあってそれと照し合わせて色んなチョイスがあるって勝手に思い込んでいたけど。なんかその、俺の偏見が質問に現れていたなーって、すごい申し訳ないというか。
里奈:いやいやいやいや(笑)
太郎:みっともなかったな。
里奈:いやでもよかった、気付きを与えられて。いやなんかね、そもそも私、大学来るの怖かったのよほんとに。ICUであっても。なんかもうずっと盲学校で生活してきたし。もう、それこそさ、そのころは視覚障がいとそうじゃない人って考え方をしていたからさ、そうじゃない人ばっかのとこで暮らすとか死んじゃう、みたいな感じでね。でも、ICUに来てめっちゃいい気付きがありました。
太郎:うーん、なんだろうな。逆に、他の大学行った友達とかって、例えばこういう悩みは結構共通で、こういうところは違うんだな、とか、やっぱある程度あったりするの?
里奈:おーーーー。
太郎:ICUがやっぱ、結構他と違うんだなって(思ったりするかどうか)。
里奈:うーん、私がすっごい高校の頃の友達としゃべっているわけじゃないから(そこまでわからないけど)。ICUの友達の話をすると、「あーいい友達持ったね」とか「いい大学行ったね」とかいうことすごい言われたりとか。寮の話だったかな。(盲学校の)先輩がさ、寮で普通にパスタ茹でてるだけなのに「大丈夫ですか、何してるんですか! 」とかめっちゃ聞かれた、みたいなこと言ってて。「私のところなんて『何作ってるの、美味しそうだねー』みたいな感じだよ」とか、「でなんか『ここ手伝ってくれませんか』みたいなこというと『いいよ〜』ってやってくれる感じですけど」って言ったら、「いやー、いい環境にいるなー、そこを大事にしろ〜」みたいに言われるから(笑)。あるんだと思う、やっぱ(ICUと他の大学での違いが)。
*
太郎:SDさん聞くこととかある?
SD:自分はその、インタビューする前に、視覚障がいであることを気にしすぎるのも失礼に当たるんだろうなとか、色々考えてしまって。自分は(当事者の様な)経験をしたことないので、相手からどう思われたら嫌だとか、そういうところがわからなかったので。
里奈:うーーん、でもそうだよね。どうだろ、私タイプが2つあると思っていて、友達との関わり方で。まず1つは、全然気にしない、視覚障がいのこと特に考えない、みたいな感じで普通に友達として接して、なんか助けが必要だったら相手から声かけてくれたり、こっちから言ったりするっていう関係が1つ、いいなーって思う。のと、もう1個は、私が1番仲良いと思っている友達は結構、なんだろう、普通の話もするけど、(相手が)障がいのことについて興味があって、それに関してどストレートに聞いてくるんだよね。例えば、「里奈はどう思うの? 」とか言われて、あーこうこうこうだよって言って。「あーなるほどそうなんだね、そうやって考えてほしいんだね」とか。だからなんか、聞いてくれるっていうのは知ろうとしてくれるって意味だから、そういう意味での「気にする」はめちゃありがたいし嬉しい。だからそうだね、どっちでも、(視覚障がい者であることを)気にしても気にしなくても。単なる心配とかはね、ちょっと悲しくなるけどね。
SD:ストレートにそうやって、どう思うかみたいなの聞いてくれるのは、いいですね。多分、いい関係なんだと。そっちの方がなんか、どう思ってるかとか相互に伝えやすいし、理解しやすい。
里奈:うーんそうね、すぐにはできないかもだけど。もしかしたらそういうのやだっていう障がい者もいるかもしれないしね。まああくまで私は、って感じなのかな。
太郎:あとなんか、キャンパスで見かけるときに、友達と一緒にいること多いけど、どれぐらいの割合なの。どっかにいく時とかって。友達についていってもらうとか。
里奈:うーん。例えば、大体私が移動する時って誰かに会いにいく時だからさ、行きは自分でいって帰りは送ってもらうとかがあったりとか。えーなんか難しいな。あとなんか、今さっきどストレートに色々聞いてくれる友達がいるって言ったけど、その子と、なんか、支援してもらってるのと、ただ会いたいっていうのの両方の目的だったり。どっちの方が強いのかももはやわからないって感じで一緒にいるとかあるかも。でも別に1人の時も全然あるし。どっか遠くで誰かと遊ぶ時とかさ、普通に1人で電車とかバスとか乗り継いでいったりして遠くまで行くし。そのときによるかな。
太郎:うーん。なんだろうなんか、自分の色んなチョイスについて、障がいを持っていることってどれくらい関わってくる?
里奈:えーーー。えーでも、まあまあそれは関わってると思う。めっちゃ微妙な答え方をして申し訳ないけど、なんかその、障がいを使って仲良くなるとかも普通にあるからさ。1人で歩いてて迷って、道聞いてそっから仲良くなった人もいるし。えーわかんないけど、でも普通に、一定の割合で、それは、ある。あると思う。
太郎:なんかこれ聞いた意図としては、この(用意してきた)質問がなんか、障がいを持っていることが色んなチョイスに大きく関わっているだろうな、っていう俺の偏見に基づいたものだったことを反省して実際聞いてみた、っていう。
里奈:えーー。なんかでもねえ、それ私も刺さるところがあって。うーーん、頼むのと、誰でも良いからっての、うまく利用しているっていうの、の境目みたいなのをすごい行き来してるなって思う時は確かにあって。なんか、なんだろう。助けが必要で頼んでるけど、別にその人と会いたいから会った訳じゃないっていう場合があったらさ、それはすごい申し訳ないなって気分になるからさ。なんだろうね、そうならないようにしたい、から。この目的だけでその人と一緒にいる、ってのはできるだけしないようにする。特に友達の場合ね。将来ヘルパーさんとか利用するようになったら話は別だと思うけど。
太郎:時間になった。
里奈:ありがとーー。喋り倒してしまいました(笑)。
太郎、SD:どうもありがとうございました。
[編集後記]
全盲者として、友達に連れ添ってもらって生活していることが多い様に見えた彼女が感じる、「多様性」や「他者理解」とはどの様なものか聞いてみたいということ。そして、時には慣れた足取りで、一人でどこかに出掛けていく彼女を見て、「自分は全盲者という人たちについて、例えばどの様なことなら自分一人でもできるのか、などのことを全く知らないのかもしれない」「彼ら彼女らと交流することになった時、偏見や憶測、相手をかえって傷つける様な優しさを押し付けてしまうことになってしまうのではないか」という切実な焦りを感じたこと。これらが私にとって、今回のインタビューを企画する1番のモチベーションとなった。
記事映えするから「全盲」を選んだのか、とか、目立つ所だけに注目して、それで安易に多様性を語った気になっているだとか、謂れのない非難も記事を作る過程で言われた。しかし、「どうしたって他人の協力も欠かせない」という、全盲者に特に強いこの傾向(本来人間皆そうであるとも言えるが)が、私が「多様性」云々を考える上で大事だと思う「物事を形式に当てはめないで、その都度誠実に向き合うこと」に強く関連すると感じたので、今回このような人選となった。何かを選ぶということは、即ち何かを選ばないということである。「障がい者の中から、症状に応じて取材対象を選んでしまって良いのか」「選ぼうとすること自体、ある種非常に暴力的なのではないか」という悩みに、最初の頃はなかなかに苛まれてしまった。でも満足できる記事ができたので良かったと思う。
【花田太郎】