第3回 誰も借りてくれない本を読んでみた―『蕩尽する中世』
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この連載は、「なぜ考古学系の本が残ってしまうのか――『誰も借りてくれない本フェア』でも借りられなかった本を借りてみた」という記事を担当した筆者が、ブックレビューを書いて3冊の書籍を卒業させるコーナーである。まずは上記の記事を読了してから、本連載を読んでいただければ幸いである。
さて、誰も借りてくれない本を借りてみるこの連載も、今回で最後になる。
ラストを飾るのは2012年に出版された、本郷恵子著『蕩尽する中世』だ。本書では、院政とともに始まった日本の中世における「富」がどのように使い果たされてきたのかが、具体的な例と共に紹介されている。地方の財産を思うがままに使い込んでいた受領たちが、金に翻弄される様や、芸術や雑芸に入れ込み過ぎて、部下に文書でバカにされていた後白河院のエピソードなど、中世の人々が持っていた富と権力に対する執着心が手に取るようにわかる1冊である。
今回はこれらのエピソードの中で、筆者が特に興味を引かれた「悪党」についての記述を紹介しようと思う。
富を!力を!自由を!
「この悪党!」
もし、そんな怒声を耳にしたら、皆さんは言われた相手に対してどのようなイメージを抱くだろうか。今こそあまり聞かなくなったものの、「悪党」という言葉は、昔から他者を騙して陥れたり、他人のものを強奪したりした人を犯罪者として罵るときに使われてきた。しかし、悪党の起源となった人々が生まれた鎌倉時代においては、必ずしも悪党=犯罪者という意味で使われていたわけではなく、既存の秩序から逸脱し、荘園の秩序を攪乱させた人々のことを指していたという。
当時の悪党が欲しかったもの、それは財産と権力と自由だった。
悪党と呼ばれる前、彼らは、一部の領主のみが富や権力を握っていることに不満を持ち、領主に都合の良い財産制度である荘園制度に抵抗していたという。そのため、領主や百姓から告訴され、「悪党」と罵られるようになった。
富と権力に振り回される領主たちと、それにつき従う百姓たちと真っ向から対立した「悪党」たち。彼らは様々な人たちから告訴され、罵られる代わりに、自ら考え・判断する自由を勝ち取ったのだともいえるのではないだろうか。その結果、「悪党」たちはついに幕府をも倒すほどの時代を変える原動力となったのである。
悪党のススメ?
本書では、当時の悪党たちのことを「次の時代への転換力」や「既存の秩序から逸脱」といった言葉で説明している。文字だけをみれば、「悪党」はまるで、権力と金に群がる身勝手な領主たちに立ち向かった正義の味方のようだ。上記を読んで、不条理な世界に抵抗する見ず知らずのヒーローたちにほんのりと憧れを抱いた方もいるのではないだろうか。
しかし、主に武力による抵抗を行っていた悪党たちには、目的のためなら手段を選ばない残虐さがあったという。
例えば、悪党と呼ばれたことで有名な武将、楠木正成は、赤坂城・千早城の戦いにおいて幕府軍に対し、山中での籠城や石攻め、火責めを行った。これは、騎馬武者が名乗り合って一騎打ちをするという従来の戦闘形式とは異なり、手段を選ばず敵を倒そうとする悪党のやり方に由来する戦闘方法であると考えられる。
また、悪党たちは、既成の秩序や権力に反抗し否定するためだけに、異様な服装をしたり贅沢に着飾ったりする、婆娑羅という服装を好んだ。そのため、悪党は人々から恐れられ、忌避される存在ともなっていったという。
悪党は確かに、時代を変える原動力とはなったが、荘園制度という秩序を破壊した先には南北朝時代という混乱と暴力が待ち構えていた。戦いに身を投じ、破壊の先に彼らの望む自由が存在しないと知ったとき、悪党たちは何を思ったのだろうか。
こんなICU生におすすめ!
今レビューでは、悪党に焦点を当てて紹介した。しかし、最初に述べたように、本書は日本中世における「蕩尽」をテーマとする様々なエピソードが紹介されている。芥川龍之介が小説化したことで有名な『芋粥』も載っているので、日本史を学んでこなかった学生にも垣根は低いはずだ。
歴史学や文学メジャーの学生はもちろん、日本史を受験勉強とは違った形で学び直してみたいと考える学生にはもってこいの1冊である。
タイトル | 蕩尽する中世 |
著者 | 本郷 恵子 |
出版社 | 新潮選書 |
出版年 | 2012 |