ICU祭のテーマとその背景を考察する

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ICU祭も目前に迫る頃となった。今回のテーマはYOUtopia。このテーマの由来は「ICU祭が学生、教職員、来場者一人ひとりにとってのユートピアになってほしい」という思いからであるという。そこで、この記事ではこれまでのICU祭のテーマについて取り上げ、さらにその中でも目をひくテーマとそのテーマの生まれた背景を考察したい。

まず、以下が歴代のICU祭のテーマである。

1954年(第1回)~1959年(第6回)(テーマなし)
1960年(第7回)「ICUの社会的責任」
1961年(第8回)(テーマなし)
1962年(第9回)「『よりよき世界を目指して』―資本主義か社会主義かという論点をめぐって― English: TOWARD A BETTER WORLD -Questions raised by the issue “Capitalism or Socialism ?”」
1964年1月(第10回)「現代社会に於ける大学の責任」
1964年11月(第11回)「 我々の鳩は死にかけているか」
1965年11月(第12回)「失われた対話を求めて」
1966年11月(第13回)「生活と思索と行動と」
1969年2月(第14回)「『仮象としての現実を突き破った地平に、不死鳥の胎動を!』 ―人類前史の終焉を目指して―」
1973年2月(第15回)「<存在>の根底への出立 ―未明の現在、風土の呪縛を解き放ち新たな共同性創出を目指して―」
1973年12月(第16回)「<ICU的なるもの>―この擬態への恥辱をもって創造への息吹きとなさしめよ! ―創造は悟性(論理)にかなっていること。かといって悟性からは導き出しえないこと。それは恣意的なものでもなければ、論理的整合性のみによって包摂されるものでもないこと。」
1976年(第17回・再開1回目)~1978年(再開3回目)(テーマなし)
1979年(第20回)「見つめ直せICU. (現実及び本質の直視) English: Reconsider ICU」
1980年(第21回)「コミュニケーションEnglish: COMMUNICATION」
1981年(第22回)(テーマなし)
1982年(第23回)「OPEN THE DOOR-内からも外からも」
1983年(第24回)~1987年(第28回)(テーマなし)
1988年(第29回)「やりたいものは救われる」
1989年(第30回)「色がないのに色がある」
1990年(第31回)「ORIGIN」
1991年(第32回)「転換期English: Turning Point」
1992年(第33回)「カイキEnglish: KAIKI」
1993年(第34回)「ISOLATED CRAZY UTOPIA ~来るもの拒まず猿でも追わず~ English: ISOLATED CRAZY UTOPIA “We never refuse anyone to come, and never pursue anyone to leave”」
1994年(第35回)(テーマなし)
1995年(第36回)「赤道直下の11月 English: November on the equator」
1996年(第37回)「鍵-トビラの向こうに…」
1997年(第38回)「YES, WE MEAN IT!!」
1998年(第39回)「Fiesta Hazard 一触即発」
1999年(第40回)「After Internationalism 国際再構築」
2000年(第41回)「i-Interpersonal & Intrapersonal Communication」
2001年(第42回)「粋(NICE!)」
2002年(第43回)「(※光と心を合体させた創作漢字)~ヒカリトココロ~」
2003年(第44回)「彩」
2004年(第45回)「BORDERLESS」
2005年(第46回)「激(PATHOS)」
2006年(第47回)「夢中力」
2007年(第48回)「みちEnglish: Michi」
2008年(第49回)「beyond the ordinary」
2009年(第50回)「灯」
2010年(第51回)「繋」
2011年(第52回)「躍」
2012年(第53回)「地球滅亡するなら就活しなくていいんじゃね! English: Is Job Hunting the Thing to Do When the World is Going to End?」
2013年(第54回)「還~次の60年に向けて~」
2014年(第55回)「夢限」
2015年(第56回)「YOUtopia」

この中で、目を惹くのは1960年代のテーマであろう。1960年代は、ICUにおける学生運動の最盛期ともいえる時期であった。そのため、テーマにもその風潮が色濃く反映されている。1960年の「ICUの社会的責任」というテーマは、その頃の執行委員会がかなり強い政治意識をもっていたことから示されたテーマであろう。執行委員というのは、その時期に発足したICUの学生会のようなものであり、執行委員会は岸内閣下の衆院解散や、選挙に関して学生に声明文を提示するなど、かなりの政治的な部分での傾倒が見られた。1960年はさらに日米安保改定闘争の年であり、それが学生らの自らの社会的な責任と立場を強く意識させたのかもしれない。

1964年の11月のテーマは、「我々の鳩は死にかけているか」である。ネガティブな言葉が使われているがこれはなぜなのであろうか?実はこの年は、学費値上げに関する学生運動において、執行委員会の無力さが示された年なのである。さらに、続く1965年のテーマ、「失われた対話を求めて」は学費の値上げを巡って学生側が暴力的行為を行ったために大学側から話し合いを拒否されたことが反映されているのかもしれない。そして、1966年には執行委員会が消滅すると共に、ICU祭も10年間の開催の中止が余儀なくされ、復活を果たしたのは1976年のことであった。なお、この期間に開催されたICU祭と銘打ったものがあるが、これらは正式なものとはみなされていない。

1979年、ICU祭が復活して初めてのスローガンである。政治から切り離されたICU祭のテーマが登場しだした。この年のテーマは「見つめ直せICU.(現実及び本質の直視)」という学生自身へのメッセージともとれるようなものとなっている。1976年のICU祭の基本方針として大学の基本理念の立ち返りがあるようだが、これは学生運動への反省ともとれるかもしれない。

1980年頃からは少し、カジュアルなテーマへと転換を遂げている。1988年の「やりたいものは救われる」はキリスト教でよく使われる「信じる者は救われる」のもじりであろう。キリスト教をネタにしてしまうとは、学生の自由な発想の片鱗が見受けられる。また、1991年のテーマである「転換期」はその年の2月にバブル崩壊という転機を迎えたことを示しているのかもしれない。

1996年になると、2000年代のテーマにおいて散見される、一文字のテーマの流行の萌芽が見られる。1996年、2001年、2003年、2005年、2009年、2010年、2011年とたびたびICU祭のテーマは一文字で表されてきた。2000年代で特に目を惹くのは、2012年の「地球滅亡するなら就活しなくていいんじゃね!」というテーマである。これは、三年間続いた一文字テーマを一新し、砕けた表現を使ったテーマであることから多くの人を驚かせたようだ。2012年はマヤ暦で滅亡が示唆されており、その言説が多くの学生の間で冗談まじりに共有されたことから、このテーマが選ばれた。

それでは、2015年、今年のテーマは私達のどんな背景や気持ちから生まれ、選ばれたものなのであろうか。ここでもう一度考えてみる必要があるだろう。ICU祭がよりよいものとなるように弊社としても祈っている。