ICUにはなぜミスコンがないのか――その歴史的な経緯 後編
|これまでのICUにおけるミスコン企画について概観するこの記事、後編では2011年のミスコン企画と、それに対する反対運動について見ていく。前編はこちら。
2011年
2011年のミスコン企画に対する反対運動はそれまでの2回とは比べものにならないほど大きなものとなった。一方、ミスコン企画そのものについても、最も開催に近づいたケースであったといえるだろう。実際に出場者の募集も行われたのだ。
2011年の場合は、「ミスキャンパスICU」の開催の主体はICU祭実行委員会ではなく、元ICU祭実行委員が立ち上げた「ICU-CP9」という有志団体だった。The Weekly GIANTS 1040号に掲載されたICU-CP9の代表、副代表へのインタビューによると、ミスコンの目的として掲げられているものは、ICU祭を盛り上げることと、ジェンダーに関する議論を深めること、の2つであったようだ。ミスコンの審査項目としては「ファッション」「料理」「プレゼン」の3つが予定されており、応募資格者は「ICUに属する全ての者」とされていた。
そういったミスコンの企画に対して、ICUの在学生、卒業生が中心となって「ICUのミスコン企画に反対する会」が作られ「国際基督教大学(ICU)におけるミスコン開催に反対する共同声明」が発表された。
声明は、それまでICUでミスコンが開催されてこなかったことを「悪いものを壊し、革新をもたらす」と同時に「人々の多様性や尊厳を尊重する」伝統と評価し、世界人権宣言を引いて、ミスコンをICUで開催することがICUに新しい風を吹き込むことなのだ、という主催団体の主張を退ける。
声明の最後で、反対する会の主張が以下の4つにまとめられている。
・私たちは、人種的、身体的、階級的に画一的な女性の美のイメージの強化をもたらし、女性の性的対象化の道具として機能してきた歴史をもつミスコンに、そもそも反対します。
・ですから私たちは、ICUの外においても、差別的な電車の釣り広告やミスコンに反対します。
・基本的な人権、および多様な人間のあり方が尊重される社会をめざす私たちは、当然ICUでのミスコン開催にも反対します。
・また、私たちにとって、ICUは社会から独立した象牙の塔ではありません。ICUもまた社会の中に位置づけられた存在です。私たちがミスコンに反対するのは、キャンパスを特権的空間として保全するためではありません。
また、CGS(ジェンダー研究センター)のWebサイトでも意見が表明された。
コンテストに参加するしないに関わりなく、全てのICU生とICU祭来場者がこの企画の提示する序列に組み込まれ、そのことにより、またこの企画を巡る女性/マイノリティへの配慮を欠いた言説により、傷つく人、傷ついている人がいることを憂慮します。
そして10月3日、ICU-CP9は企画の中止を発表した。
ミスコンは「潰された」のか
我々はICU祭における初のミスコン開催に向け尽力して参りました。
しかしながら、完全他団体であるはずのICU祭実行委員会への寄付金打ち切り可能性の示唆を含む関係各所の圧力、及び周囲の脊髄反射的な心無い誹謗中傷を受け、遺憾ながら企画を中止する決定を下しました。
企画実施のためのご協力を賜りました皆様、企画を楽しみにしてくださっていた皆様には、多大なるご迷惑と失望を招く結果となってしまい、誠に申し訳ございません。
上に挙げたのはICU-CP9によるミスコン企画中止の声明(リンク先は学内向けWebサイト)の一部だ。「心無い誹謗中傷」「関係各所の圧力」と穏やかでない言葉が並ぶが、CGSをはじめとする大学の部署からの「圧力」はあったのだろうか。実際のところは今となってはわからないが、CGSや「反対する会」の声明からは違った一面が見えてくる。
「反対する会」がミスコン企画中止後に出した声明は、ICU-CP9の声明のはらむ問題点を指摘している。
ICU祭実行委員会への寄付金打ち切り示唆とは、一体どの団体が行ったものなのか。「関係各所」の圧力とは、具体的にどのようなものだったのか。具体的にどのような「誹謗中傷」が主催団体に向けられたのか。その内実が不明瞭である以上、中止の直接的原因となったものは「圧力」あるいは「誹謗中傷」のいずれかである、という印象付けは、これまでに表明された反対意見を矮小化する効果を持っています。
企画中止の理由として「圧力」や「誹謗中傷」の存在をほのめかすことはミスコンに関する議論の積み重ねを無に帰すものでもあるということだ。それはICU-CP9がミスコン開催の目的の一つとして挙げた「議論を深める」ことも阻害してしまっていたはずだ。
また、CGSの声明は、ミスコン実施の是非を決めるのはあくまで学生たち自身であるということを強調している。
私たちは学生の皆さんの行動を禁止するものではありません。
しかしキャンパス内に人権侵害をもたらす恐れのある企画については、自発的な再考を望みます。
以上のように2011年の場合、主催団体は「ジェンダーに関する議論を深める」ことを目的としてはいたものの、実際は2008年のケースのようにしっかりと議論がなされたわけではなく、賛成・反対の主張が噛み合わないまま企画の中止に至った。このような幕切れは禍根を残したはずだ。
「CGS」「ジェンダー」という言葉がICU生によって使われるとき、しばしばそこには「怖いところ」「文句を言う人たち」という含意がある(ように私には感じられる)。もしそれが私の思いすごしなら問題はないが、もし実際にそういった意識がICU生の間にあるのだとしたら、それは2011年のミスコン企画が議論を尽くさないまま中止となったことと無関係ではないだろう。学生、教職員、卒業生など、さまざまな形でICUに関わる私たちは、この問題から目を背けてはならないはずだ。
参考文献
ICUのミスコン中止に対するツイッターの反応 NAVERまとめ
2011年ICU祭におけるミスICUコンテストについて CGS Online
The Weekly GIANTS 1040号,1042号