ICUの学生運動を振り返る展示とトークイベント、ICU祭にて

 来る11月3日・4日、ICU祭当日の大学本館(H-167教室)にて、1966年~70年にかけてのICUを、展示と講演会を通して振り返るという催しが開かれる。この企画は、同窓生によって立ち上げられたICU史再考プロジェクトを中心に準備が進められている。

 1960年代と言えば、全国的に学生運動が広がり、ICUにおいても混迷を極めていた時期である。ICUでは1966年~70年にかけて、能研テスト(能力開発研究所学力テスト)を入学者選抜資料の一部に導入することへの反対や、受験料の値上げが告知されたことへの抗議を表明する学生による活動が盛んに行われた。その他にも、学内に敷かれたガードマン体制の撤廃、教授会議事録の全面公開、能研テストに抗議した学生への処分の白紙撤回の3項目について争われた。この学生運動の動きが決定的であった1969年、学生は抗議活動の間は主にD館に籠り、6月7日~12日にかけては本館、理学館、図書館の入り口に椅子や机でバリケードを築き、建物を占拠した。これに対して大学当局は、10月20日に機動隊を投入しD館(現旧D館)に籠る学生を排除した。同月25日には本館、理学館、チャペル、図書館、D館、シーベリーチャペルを囲む鉄製の柵を構築し、抗議活動に参加した学生を検問所で排除することで授業再開に臨んだ。その後も、受講登録を拒否する学生に対して、期日までに休退学などの手続きをとらなければ学籍を失う旨の文書が送付され、最終的に除籍4名と停学4名の処分となった。このように、互いの主張は激しくぶつかり合い、歩み寄られることはなかった。

 言うまでもなく、ICUでは対話を通して解決策を見出すことが理想的な姿とされる。もちろん、学生運動のさなかでも、対話に尽力した学生や教職員もいただろう。しかし、学生による建物の占拠や、大学当局による機動隊の投入に代表されるように、実力を駆使した対抗措置が取られていたことが目立つ。そこでは共に解決策を見つけるという姿勢は失われ、真っ向から対話を拒んで対立するという構図が成り立ってしまったのだ。その時期を、単に暴力的だったとして話を終わらせることは簡単である。しかし必要なのは、この事態から得たものは何か、次につなげられるものは何かなどを熟議し、総括することではないだろうか。

 ICUにおける学生運動の時期は、いまや本校では非公式の歴史として扱われている。もちろん特に気にしなくてもICUを卒業することはできるし、日常生活に支障はない。しかし、現役学生にとっても、対話が失われてしまった時期を振り返ることは、ICUが理想とする対話の姿を見出す一助になるだろう。興味の湧いた方は、ぜひ足を運んでみてほしい。