【映画評】コロナ禍だからこそ観たい映画3選

 緊急事態宣言が発令されてから早一ヶ月。自宅待機の続く中で、映画を観るくらいしかやる事がないという方も多いのではなかろうか? 現に、筆者宅近くのTSUTAYAは緊急事態宣言下にもかかわらず連日盛況のようである。読者の皆様には映画を観る際はネット配信等も積極的に活用して頂きたいが、本記事ではそんな今だからこそ観るべき映画について論じたい。

 現行の情勢は、我々の「フィクション」に対する眼差しをも変革してしまった。未曾有のパンデミック、休業要請、緊急事態宣言、今までは小説や映画の中でしかお目に掛かれなかった世界が、今や我々の日常と化したのである。その意味において我々は、「フィクション」を単に想像上の世界として捉えるのではなく、今起こっている現実の写し鏡として意識的にしろ無意識的にしろ捉えているのではないか。そのような中で映画に触れるという行為は、今までとは根本的に異なった体験を惹起させるだろう。そこでは「フィクション」の世界は圧倒的なリアリティを持って我々に迫ってくる。もはや、映画は画面の中だけの話ではなくなる。日本を取り囲む今日の状況は、非現実的な世界に対する現実的な反応を否が応にもでも我々に引き起こすのだ。

 しかし、それ故に我々は「フィクション」に対して、ある種の真剣さを持って臨めるのではなかろうか。もはや「フィクション」と片付けられないからこそ、我々はそこからこの現実に何を援用でき、還元できるのか、そのような眼差しを向けられるのではなかろうか。いな、向けざるを得ないのである。以下に述べることは「フィクション」の本来的な楽しみ方からは著しく逸脱しているかも知れない。しかしながら、かような眼差しを持って「フィクション」に対せねばならぬ状況であるからこそ、敢えてこの姿勢で現実的な非現実の世界に触れようではないか。

 本記事では、今となっては我々にとり、画面を飛び越え、現実的な厳しさを以って迫ってくる三つの映画をご紹介したい。どれも今の世界、さらには日本を反映しているかの様な作品であり、「フィクション」の現実性を突きつけてくる作品である。現行の情勢下の特殊な文脈において作品が見直されることによって、様々な新発見があることであろう。それこそが映画の魅力であり、「作品」とされるものの特徴でもあろう。優れた「作品」は必ず、その時々の文脈によって読み直され、それを可能にする多層的な構造が内蔵されている。ここにご紹介する三作品はどれもそのような「作品」としての深みを持っており、今までとは違った眼差しで「作品」に触れざるを得ない我々に対しても、また新たな発見をもたらしてくれる。そしてその発見は、コロナ禍において必ずや意味のあるものとなるであろう。

「グエムルー漢江の怪物」(2006)

 まず一つ目の作品は韓国の巨匠、ポン・ジュノ監督の「グエムルー漢江の怪物」(2006)である。

【あらすじ】

 漢江から突如上陸した、黒い両生類のような怪物(グエムル)は、河原の人々を捕食・殺害し、露店の男カンドゥ(ソン・ガンホ)の娘、ヒョンソ(コ・アソン)を捕まえて水中へ消えた。ヒョンソは怪物の巣の下水道から携帯電話で助けを呼ぶ。一方、在韓米軍は怪物の持つ未知の病原菌に感染したとみられるカンドゥを捕えようとする。カンドゥと一家はヒョンソを救うために怪物を探す。

(一部Wikipediaから引用:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A8%E3%83%A0%E3%83%AB-%E6%BC%A2%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%80%AA%E7%89%A9-)

 ポン・ジュノ監督は、昨年公開の「パラサイトー半地下の家族」でアカデミー賞を総なめにし、読者の方々にとっても今やお馴染みではなかろうか。(彼がアカデミー賞を受賞してから、急にポン・ジュノファンを名乗り出す、にわかポン・ジュノ好きが巷に溢れ出したが、筆者は彼がオスカーを取る前から彼のファンであり、本誌にポン・ジュノ特集を組んだほどである。)本作の英題は「The Host」であり、その意味は保菌者である。未知の細菌を保持しているというホストとしての怪物。それに接触してしまい、自らもホストとなった主人公を巡る物語が展開される。特筆すべきは、そのホストに対する世間の反応である。マス・メディアは未知の細菌の恐怖を煽り、政府は細菌の封じ込めに乗り出す。しかし、情報に無批判に踊らされる市民や、お粗末な防疫体制など、「フィクション」としては片付けられない現実味が本作にはある。全編を通してポン・ジュノ独自の冷笑的な演出が冴えるが、今となってはこれを笑うことは出来ない。パンデミックもの、モンスターパニックものである本作。これを鑑賞することは、翻って我々の日々の行動を批判的に見ることにも繋がるだろう。このご時世に不謹慎な映画を紹介するものだ、と思われる読者の方がいるかもしれないが、こんな時だからこそ、「グエムル」から読み取れる発見は大きいかもしれない。

「新感染ーファイナルエクスプレス」 (2016)

 二つ目にご紹介するのは、同じく韓国映画の「新感染ーファイナルエクスプレス」である。パニックホラーものの本作は、カンヌ国際映画祭やシッチェス・カタロニア国際ファンタスティック映画祭などで話題となった。(韓国映画のレベルの高さを窺い知る事ができよう)

【あらすじ】 

 カンヌ国際映画祭やシッチェス・カタロニア国際ファンタスティック映画祭などで話題となった、パニックホラー。感染した者を凶暴化させる謎のウイルスが高速鉄道の車両内に蔓延する中、乗客たちが決死のサバイバルを繰り広げる。別居中の妻がいるプサンへ、幼い娘スアンを送り届けることになった、ファンドマネージャーのソグ(コン・ユ)。夜明け前のソウル駅からプサン行きの特急列車KTX101号に乗り込むが、発車直前にウイルスに感染した女性も乗ってくる。そして乗務員が彼女に噛みつかれ、瞬く間に車内はパニック状態に。異変に気づいたソグは、サンファ(マ・ドンソク)とその妻ソンギョン(チョン・ユミ)らと共に車両の後方へ避難する。やがて彼らは、車内のテレビで韓国政府が国家非常事態宣言を発令したことを知り……。

(Yahoo映画から引用: https://movies.yahoo.co.jp/movie/359180/)

 人をゾンビに変えるウイルスが蔓延した韓国を舞台にした、パンデミックもの映画。しかし、舞台はKTXの車内に限られており、今までのゾンビ映画に新風を吹き込んだ意欲作である。注目すべきは、ウイルスによるパンデミックではなく、自らの命を守るために非情になる人々の姿である。自分の命を守る為、キャリアを人とも思わぬその態度、そしてまだ感染していない人までも蹴落とし、自分だけが助かろうとする登場人物たち。人間の内なる利己心を嫌というほど見せつけてくるのが本作である。本当に怖いのはゾンビか? それとも人間か? この問いは今の状況にも言える事だろう。ウイルスを憎んで人を憎まず、の筈が互いにいが歪み合い、国同士までもがそれを巡って対立する情勢を見ると「新感染」における利己的な登場人物たちの姿を思い出さずにはいられない。本当に人を殺すのはコロナか? それとも人間か?

「パトレイバー2 the Movie」 (1993)

 さて、最後にご紹介するのは「パトレイバー2 the Movie」である。押井守監督の都市論がふんだんに盛り込まれた本作は、緊急事態宣言下ではとてつもない現実味を持ったものとして我々の前に現れる。

【あらすじ】

 押井守監督による「機動警察パトレイバー THE MOVIE」に続く劇場版第二作。竹中直人、根津甚八が声の特別出演。 2002年、謎の戦闘機が横浜ベイブリッジを爆破、公には自衛隊機であったと報道され、日本は緊張状態に陥る。厳戒態勢の中、警視庁特車二課の後藤は、この事件の容疑者に、1999年のPKFで東南アジアに於いて行方不明になっている元自衛隊員、柘植を挙げて捜索を始めるが、その頃ある飛行船が首都に向かっていた。

(Yahoo映画から引用: https://movies.yahoo.co.jp/movie/89848/)

 一発の爆撃により、未曾有の非常事態の中に投げ込まれた東京。その姿は今の日本と酷似する。様々な政治的策謀によりどんどん事態が拗れ、悪化していくその様は、その性質が違うとはいえ、看過できないリアリティがある。自らが批判的に、自己を取り巻く状況に対処していかなければならないということを教えてくれるような作品だろう。

 以上三作品を、コロナ禍だからこそ敢えて観たい映画として推薦させて頂く。先に触れたように、こんな時にこんな映画を勧めるなんて不謹慎だというご指摘があるかも知れない。しかし、不謹慎だからと言ってそれから目を背けるのではなく、むしろ不謹慎なほどに今の我々を取り巻く状況を反映している作品を見る事で、そこから得られる教訓があるのではなかろうか。筆者は映画の本来的な見方はただ観ること、つまりあれこれ教訓や実利的な効用などを考えずにただ楽しむことであると考える。しかし、今の様な特殊な状況の中で、我々の「フィクション」に対する眼差しも変容しているからこそ、それを逆手に取って作品の中に意味を見つけるような映画体験も良いのではなかろうかと思う。読者の皆様の有意義な映画体験と健康を切に祈り筆を置く。

【ひし美ゆり子】