ICUのおすすめ授業
―2021入特ver.-

 

 この記事では、ICUに入学した際にどういう授業を受けるべきか、どういう授業がおすすめかを独断と偏見に基づき紹介する。この記事が偏っていることは、はじめにお断りしておく。そして、これを読んでいる受験生の皆様はおそらく「まだ入学試験すら終わってないのに入学後のことなんて考えられるかよ」とお思いかもしれない。おっしゃる通りだと思う。だがこうは考えられないものか? 入学後にどういう授業を履修しようかな、という幸せな想像をすることによって、ポジティブに試験を受けられるのではないか? というわけで、未来のICU生たちにぜひ受講してもらいたい授業をいくつかご紹介したいと思う。この記事を書いているときには、まだ2021年度の春学期開講授業のシラバスは発表されていないので、過去のものが中心になるが、ご容赦頂ければ幸いである。


MCC108 「カルチュラル・スタディーズ入門」有元健教授

 

 この授業はMCC(Media Communication and Culture)メジャーの基礎科目だ。通称「カルスタ入門」であり、ICUでもかなりの人気を誇る授業である。このクラスでは主にカルチュラル・スタディーズとは何なのか、どういった理論が用いられているのかを中心に見ていく。『ハマータウンの野郎ども』、『耳を傾ける技術』などの本が使用される。授業内では映画もカルチュラル・スタディーズの分析対象として紹介され、筆者が履修した2016年度には『マトリックス』と『リトルダンサー』(原題は “Billy Eliot”)を鑑賞した。ただ映画を観て感想を言うだけでなく、「作中にどういう権力構造が存在しているのか」ということや、作品のテーマとなっているものを、理論によって分析・批判する。ただポップ・カルチャーを消費することは楽しいし、それを否定する気は全くないが、より深い視点を身に着けることでもっと楽しめるように思う。【MegaMax】

 

PHR109「新約聖書学概論」焼山満里子教授

 

 筆者は凡そ3年間本学に在籍しているが、オススメの授業と問われて真っ先に思い浮かべるのは2年次に履修した「PHR109 新約聖書概論」である。

 筆者は大学に入ってから初めて聖書なる書物に触れたのだが、そのコトバを自己の中で生かす読み方を出来る様になったのは、上記の授業のお陰である。それはこの授業が、信仰の有無を問わず、一人一人が聖書のコトバと深い人格的交わりを持つことを可能にさせるからである。

 入学当初、*「キリスト教概論」を受講した筆者は、聖書という書物ほど厄介なものはないと辟易していた。それは現実味を欠いた御伽噺の世界であり、信仰のない筆者にとっては縁のない言葉の集積であると感じられた。凡そ二千年間も読み継がれてきた書物であるからにして、そこに収められているのは何某か意味のある言葉なのだろうとは自覚していたが、どのようにそれと向き合って良いのか分からなかった。端的に言って、聖書を読む構えというものが掴めずにいたのだ。

 本授業はそのような筆者にとって打って付けのものであった。この授業では、聖書を信仰の書としてではなく、人類の普遍的な叡智のコトバとして読んでいくからである。長く読み継がれてきたこの書物から、今の我々は何を学び取ることができるのかという姿勢のもと、キリスト者である学生も、そうでない学生も皆等しく聖書に向き合っていくのがこの授業の骨子である。

 授業は生徒による発表と討議が主であり、答えを与えられるのではなくひたすら自分たちで考えさせられる。その中で、筆者は自分以外の人が聖書をどのように読み、如何に自己の内的なコトバとして取り入れているかということを思い知らされた。それは、一見御伽噺のように思えるこの書物の本質的な精神を教えられた体験であった。

 この授業を通して、筆者は自己の中で聖書のコトバと主体的に向き合う姿勢を学んだように思う。ただ知識を蓄えるだけの学問が遍満する中で、この授業は自己の実存に響くような深い学びを得ることが出来る、数少ない貴重な機会である。 【ひし美ゆり子】

*「キリスト教概論」: ICU唯一の全学生必修科目。

 

HST102「西洋史(イギリス)Ⅰ」那須敬教授

 

 「西洋史(イギリス)Ⅰ」は16-17世紀イングランドを舞台に、歴史学研究の最前線を体感できる講座だ。筆者は本講座で歴史学の面白さに感銘を受け、その後歴史学メジャーを選択した。

 本講座は、17世紀イングランドの一次史料の分析からスタートする。「カークハムのモンスター」と題されたその史料は、現代に生きる我々には理解できない、独特の世界観を持っている。はじめ、我々はその異質な世界に驚き、ただ唖然としてしまう。しかしその驚きこそが、歴史学研究の入り口なのだ。

 高校までの「歴史」と言えば、ただ過去に起きた出来事を、時系列順に暗記するものだったと思う。しかし、大学の「歴史学」は、それとは違う。有名な言葉だが、歴史学者のE.H.カーは、以下の様に述べている。

*「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との尽きることを知らぬ対話なのであります。」

驚き・違和感にぶつかると、我々はなんとかそれを解消しようと試みる。その試みこそが、過去との「対話」であり、歴史学なのだ。一次史料を通じて過去と対話する面白さを、本講座は伝えてくれる。歴史学初心者の我々を、その世界に誘い、導き、過去と対話させてくれるのだ。

 本講座は講義が中心であり、ディスカッション等はあまり行われない。成績評価は中間レポート、期末試験で行われる。中間レポートは、課題図書のブックレポート、または歴史史料のデータベースを用いたレポートだが、中々手強く容易ではない。期末試験もクローズ・ブックの論述形式であり、積極的な授業参加は必須と言える。けれども、100番台に適したレベルであり、恐れる必要はない。

 また、筆者は本講座を対面で受講したが、那須教授の別講座をオンラインで受講した。那須教授はオンラインでも満足度の高い講義をして下さるため、仮にオンライン開講だとしても、十分満足できると考える。

 講義内容が教授の研究対象であり、研究成果を直に教えて頂ける、貴重な機会でもある。教授自身が大変楽しそうにお話されるため、その様子になんだかこちらまで楽しくなってしまう。「これ、面白いでしょう!?」と目を輝かせながら話す教授を観察するのも、また一興だ。

 「歴史」へのイメージが覆される講座だ。高校時代歴史科目が苦手だった人にも、ぜひ受講してみてほしい。 【まっくろくろすけ】

*E.H.カー(著)、清水幾太郎(訳)『歴史とは何か』、岩波書店、2020年、p.40より引用。

 

GEH026 H1 「日本伝統芸能の世界」矢内賢二教授

 

 この授業では、先生のご専門である舞台芸術、特に歌舞伎や浄瑠璃を中心に勉強する。舞台というものの性質上、言葉のみでなく写真や映像資料もも豊富なので、受けていて楽しい授業である。先生のゆったりとしたテンポの講義も相まって、なんとも言えずゆるい雰囲気ではあるが、レポートはきっちりと調べたことに基づいて提出しなければならないので、締めるところは締める授業だと思う。【MegaMax】

 

POL211・212・213「西欧政治思想史I・ II・III」
近藤和貴・山岡龍一・木部尚志 教授

 

 1年をかけて、古代から20世紀に至るまでの西欧政治思想の歴史を辿る講座。古代ギリシアから連綿と続き、近代以降の世界を形作った政治哲学を学ぶ。内容の難易度は決して低くない。史上屈指の天才たちが生涯をかけて編み出した思想を理解しようとするのだから、当然だ。

 しかし、善き地球市民を目指すICU生なら、誰しもが本講座を履修すべきだと筆者は考えている。それは、政治学こそが、取りも直さず人間にとって最も重要な事柄を決める学問だからだ。アリストテレスは、政治学を「棟梁的学問(master science)」と呼び、あらゆる学問の最高位に位置するものだとした。政治学こそが、人文・社会科学の知見を総合し、人間にとっての「最高善」を体現するための学問であるという意味だ。

 もし、政治学以外を専攻する学生が本講座を履修すれば、自分の今までやってきた学問が「枝葉」のように思えてしまうかもしれない。実際、歴史学を専攻する筆者は、しばらくの間、政治学を専攻しなかったことを後悔した。しかし、それは裏返せば、本講座で扱われる問題が、それほどまでに全ての人間にとって核心的なものであるということだ。やはり、大学で学問をやるのならば、政治学を避けて通る道はないと思う。専攻分野に拘らず、「国際と名のつく大学」の学生ならば、本講座を履修すべきだ。【RN】