コロナ禍学生日記 PartⅠ

 

コロナ禍学生日記とは?

 昨年1月6日、厚生労働省が、中国で発生した原因不明の肺炎に関する注意喚起を行った。思い返せば、ICUでは短い冬休みが終わり、授業が再開した日であった。名前もわからないその病気は、スマホの画面上に映る中国のどこかを歩いていた人を突然の痙攣で襲い、しばらくしてその息の根を止めた。その後、それは感染症であるということが報道される。「コロナ禍」初期の出来事として、「ダイヤモンド・プリンセス号」での集団感染が、私の記憶にしっかりと残っている。気が付けば日本でも感染者は増え、大学の授業は自室で受講し、たまの外出については軽率に他言しないようになった。最近は、東京都から毎日届く感染者数を知らせるLINEメッセージも、欠かせない日常の一部である。

 そんな中、久々に帰った都内の実家にて、祖母や両親と会話する機会があった。特別なことでもないが、親族と話す際には個人差とはまた別の、世代間の小さなズレのようなものを感じることがある。感染症感染拡大という固定されたニュースについて意見を交わすことで、私はその小さなズレたちが少しずつ露わになっている気がしていた。考えてみれば、祖母は大学闘争のまた少し前、20歳の頃には大学に通うことなく既に働き始めていた。私の両親は学生としてバブルを経験。そして私はというと、よくわからない感染症に翻弄されている。祖母と両親と私では、同じ年齢のときに全く違う経験をしている。そして、これら20歳前後で経験したことは、多かれ少なかれ生涯にわたって価値観や思考方法、認識する感情にまで影響を与えるのかもしれない。

 本企画では、Weekly GIANTS Co.の社員がコロナ禍での学生生活を記録する。ここで記されるのは、友人との関わり方や、本を読む際の視点、将来の展望など、極めて個人的で些細なこと。大学闘争やバブル期のように声高らかに叫ぶことは憚られる現代、それらの記録を通じて、外に響かずとも学生に声があるということを再確認したい。そして、声があり、日々がきちんと進んでいることを実感・共有することは、様々な世代の集まる、先の見えない「社会」に出ることもあろう、多くの学生の存在を肯定し後押しすることもできるだろう。突如として始まった感染症の拡大が、明日の飲み会を、少し先の旅行の予定を、大学の行事やカリキュラムを、卒業後の進路を変えていく。ニュースに流れる感染者数や行政の動きからではなく、ここでは一般の学生の生活から、新型コロナウイルスとその影響の様々な側面を見つめる。

 

コロナ禍学生日記【ID22・大学3年生 文学メジャー
(2021年度は休学、2023年卒業予定)   

 私が1年間の休学を決めたのは大学2年生の秋頃であり、コロナ禍が理由ではない。編集者を目指していたこともあり、大学での研究に固執するのではなく、社会における自分の興味関心や研究内容の立ち位置、好奇心に沿った学びのあり方を見つめ直したいという思いがあった。

 しかし、いざ休学の手続きを終えて春を迎えた頃に、コロナ禍が始まる。詳細は割愛するが、コロナ禍で身動きが中々取れないこと(現場に足を運び活動する職場であった)、仕事が自分の肌に合わないことなどを理由に、出版社での長期インターンシップは半年程で辞めた。ちょうどその頃、周りの友人がゼミを決定し、就職活動の話をし始める。何も果たせていないという焦燥感と、将来への漠然とした不安に常に駆られる日々。自分が想像以上に環境に影響されていることに呆れながら、どうにも動けない日々に浸かる。

 しかし思い返せば、決定的な価値観の変化をもたらしてくれたのも、コロナ禍の現状であったかもしれない。私における変化は、ディストピア小説、幻想文学を読み始めたことに始まる。友人からたまたま借りて読んだ『1984年』と『折りたたみ北京』、同じく広く知られた『すばらしい新世界』や『白の闇』、『白い果実』、『黄色い雨』、『百年の孤独』、『紙の民』、『春の祭典』……。他にも、トマス・モアの『ユートピア』など、図書館が閉鎖されて仕方なく足を運んだ本屋で目についた作品を読み漁った。社会のあり方、或いは社会との付き合い方を考える機会が多くあった1年に、未曽有の事態に混乱する社会や言葉で説明のつかない世界の様子を描いた作品、ユートピア論に興味を持ったのは偶然ではないだろう。

 コロナ禍の社会は、私の知る20年間で最も不安定な場であった。そんな期間を過ごし、私が受け入れることにした事実がある。それは、池田晶子が『人生のほんとう』にて分かり易く伝えているように、「お金」や「国」、「社会」等は虚構であるということだ。「社会」というものは、多くの人間の生活のために用意された一つの場であり、あるようでないような、ないようであるような曖昧なものである。この「社会」における、「日常」というものがいかに容易く壊れうるかは、この1年間を通して嫌というほど実感させられた。今まで「社会」というものは、自分がいくら憤りを覚えても、絶対的なものとして私の目の前にあり続けていた。しかし、その「社会」の存在は恣意的であり、少なくとも乱れることがある、と実感した経験はいくらか私を安心させた。

 ただ、「日常」や「社会」が存在せずとも、私は寝たり起きたり、ご飯を食べたりする。その上、アルバイト先から電話はかかってくるし、家族からは「たまには帰ってこい」とメッセージが来る。どれだけ焦っても、無関心を装っても、「社会」に一部を預けている私の生活は続く。私はディストピア小説や幻想文学に加えて、「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」に始まる『アデン、アラビア』や、どうしようもない社会からひたすら無関心へと逃げる『眠る男』、同じくぺレックによる『物の時代』を、そして改めてエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』を、自戒も込めて幾度か読んだ。

 いくら本を読んだとしても、生活に変化は見られないと言われるかもしれない。しかし、私の将来への展望は、コロナ禍以前から大きく変化した。3年次には就活、卒業後はどこかの出版社へと考えていたけれど、自分が実際にそうしているのを今は想像できない。そして、想像もしたくない未来を実現しようとは考えていない。社会という場に生きながらも、あくまでそれは私の生活の一部として、そこからは一歩引いて暮らす。具体的には、いくつかの資格を得て、卒業後は企業や親戚、東京からできる限り離れ、最低限の収入を得て自分の感性と共に過ごしたい。それは、規制や禁止の少ない奔放な生活へ進むというよりは、自分の生活に対しても責任を負うということではないかと考えている。

 学生である私の見る現代において、「社会」は不安定で、けれどそこから距離を取って生活すると言える程にはきっと安定している。未曾有の事態は、私の休学期間を薄暗い色で塗りつぶした。しかし、学生のうちに社会のあり方、それとの付き合い方について熟考する機会を得られたのは大変幸運なことであっただろう。【Sylvie】