ICU祭批判

本記事は、2019年発行のWG1249号に掲載されていた記事の再掲になります。情報は現在のものと異なりますから、ご了承ください。

ぱっとしない。先日、例年通りに開催されたICU祭だが、例年通りにぱっとしなかった。何故こうも面白みに欠けるのだろう。本記事では、ICU祭実行委員(以下、実行委員)でもなければ、ICU祭にたいして詳しくもない筆者が、一ICU生の視点からICU祭の問題点について考察したい。

 ただ、こうして記事を書くのは、決して自身がICU祭実行委員会(以下、実行委員会)の、外からも感じ取れる程の中学校の吹奏楽部のような集団主義的な仕組みと、彼らの何故か高圧的に思われる、学生に対する態度が個人的に苦手なことを理由としたものではないことをあらかじめご了承いただきたい。むしろ、これはICU祭がより楽しく有意義なものになればという、一ICU生の願いに端を発するものである。ICU祭は在学生の多くが参加するイベントであるのにもかかわらず、新入生リトリートや開講授業などとは違い、公の場で振り返られることが稀だ。学生による批判(の場)がないというのは、どうも建設的であるとは思えない。加えて、筆者は本記事でICU祭について書いている。実行委員会の批判を行う訳ではない。実行委員会の内情や仕事などを筆者は知らない。否、それらに興味など全くないのだ。勿論、彼らの仕事によってICU祭は形成されているのであろうが、本記事ではその結果であるICU祭に焦点を当てている。実行委員の方々には、焦らずじっくりと読んでほしい。以上を踏まえ、筆者は同イベントに対して問題提起をするという、建設的な目的に依って、ICU祭がぱっとしない理由について、思いつくものを述べたいと思う。

 第一に、ICU祭の「主体は一般学生」*¹であるのにもかかわらず、ICUの学生の学びや個性が充分に発揮されるものとなっていない。ホームページで示されているように、大学祭は「本学生にとっては、サークル活動や研究発表の貴重な機会」*²であるべきだ。しかし、例年ICU祭ではステージで映える某巨大ダンスサークルやサンバサークル、音楽系のサークルなどを除いた、大半のサークルや研究者の学びの紹介は、使用されるキャンパスエリアの一番奥に位置する本館で行われる。筆者は、2日目に本館に行ったが、この「貴重な機会」を充分に活用していた企画は数少ない。特に展示企画に関して言えば、基本的にはパネルに貼った紙の文字を読み、そこにいる担当の学生や教授と少しばかり会話をする、というテンプレートにはまったような方法で、学びを共有しようとしている場ばかりであった。どうも創造性に欠けている。ICU祭には、普段サークル活動に関わっていない、新しい視点や方法をもった学内外からの来場者がいる。ある程度同じような興味関心をもった、社会的にもある程度同じ領域にいる者で構成された講義の場と、大学祭とでは方法がいくらか変わってくるはずであり、多くの工夫も必要とされるだろう。この点において、東京外国語大学の外語祭や武蔵野美術大学の芸術祭は、学生の学びと学園祭の内容とが上手く合致し、人気のイベントとなっている例と言えるかもしれない。正直、筆者はICU祭の主体であるはずのICU生の日々の学びの共有が行われない「祭り」ならば、ICUで開催する意義すらよくわからない。第一点として、学生のサークル活動や研究発表の場の配置から内容に至るまで、新たに見直す必要があるだろう。

 第二の問題点として、ICU祭のテーマは年々抽象化され、その意味が学生に共有されていないことが挙げられる。1960年代から1970年代前半のテーマはかなり具体的である。例えば、「ICUの社会的責任」(1960年(第7回))や「『よりよき世界を目指して』‐資本主義か社会主義かという論点をめぐって‐English: TOWARD A BETTER WORLD -Questions raised by the issue “Capitalism or Socialism?”」(1962年(第9回))、「<ICU的なるもの>‐この擬態への恥辱をもって創造への息吹きとなさしめよ! ‐創造は悟性(論理)にかなっていること。かといって悟性からは導き出しえないこと。それは恣意的なものでもなければ、論理的整合性のみによって包摂されるものでもないこと。」(1973年12月(第16回))などである。詳しくは過去号を参照していただきたいが、この時期、ICU祭はICU祭実行員会ではなく、当時存在した学生会の下部組織の「執行委員会」と呼ばれる組織によって運営されていた。また、ICUにおいて学生運動が全盛期を迎えていた時期でもある。これらの背景は、現在のICUの風潮とは異なるものである。しかし、ここで筆者が貴重だと考えるのは、この具体性である。現在のICU祭における「テーマ」とは、1960年代から1970年代前半のそれと、役割の点から全く異なるものである。というのも、1960年代から1970年代前半はテーマに目的が明確に示されていた。それに対して現在の「テーマ」は全くの後付けで、開催を決定した後に公募で決めている。では、ICU祭実行委員会はいったい何のために今年も大学祭をやりたいのだろうか。やろう! と一致しているのだろうか。しかし、その謎は本記事では取り扱わないとしても、こうして公募で集められた、恣意性を多分に含んだ「テーマ」が、ICU祭に関わる多くの学生に共有されず、実質意味をなさないものとして扱われるのも仕方がないだろう。そして、先日行われたICU祭のテーマは、「Eureka!」であった。さて、ICU祭実行委員以外の学生がこのテーマを自発的に思い出すことはあったであろうか。大学祭が来場者に発見を促すような場になればという願いが込められているそうだが、学生はこのテーマを右から左に聞き流す他に、しようがないのではないか。揚げ足を取るようで申し訳ないが、筆者は「願い」ではなく、テーマを決める実行委員も含めた、学生全員が目的と方法を自発的に思考し行動することが今のICU祭に必要だと感じる。

 筆者は大学祭が、主体であるはずの学生の手から離れて独り歩きしているように感じる。読者の皆さんはどうだろうか。大学公式のイベントとして、幾つかの授業を休講としてICU祭は開催されている。また、社会から断絶されたユートピアとも呼ばれる本大学に大勢の人々が来る、有意義な機会となるべきイベントである。ICU祭に関して、例年通りの流れの中で行った、セクションでの出店やサークルでの活動などの目の前の目的や利益のみでなく、全体の見える、より広い視点で思考してみることが必要だ。とはいえ、二度出店した程度でICU祭の知識に疎い筆者は、その状況を確実には捉えられていないだろう。The Weekly GIANTSの他の記事にも言えることだが、異論、コメントなどあったら積極的に反応してほしい。本記事があなたに何かしらの問題を提起できていれば幸いだ。

参考文献

ICU祭のテーマとその背景を考察する – The Weekly GIANTS ONLINE

http://weeklygiants.co/?p=4340                     【Sylvie】

Add a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。