連載コラム第3回 ICUのUーICUが大学として輝き続けるために必要だと思うこと

「2018年問題」という言葉がある。 2018年を境に18歳以下の人口が減少期に入り、大学の倒産や学生獲得競争の激化が予想されるという、一連の問題を指す言葉だ。今から約60年前に設立され、日本唯一の純粋なリベラル・アーツカレッジとして、そして日本で最初に「国際」の名を冠した国際色豊かな大学として無二の地位を築いてきたICUも、大きな岐路に立たされている。

 

国際教養系の学部の流行と、ICUの改革

2004年に誕生した早稲田大学国際教養学部を皮切りに、各地の大学で国際性やリベラル・アーツを掲げる学部が雪崩をうったように新設された。 これらの「国際教養系」の学部の多くでは理系科目が開講されず、ギリシャ・ローマに源流を持つ伝統的なリベラル・アーツ教育とは実態がかけ離れてしまっているものも多い。だが、日本社会のグローバル化が進む中で英語力を持つ学生の需要が増えたこと、「リベラル・アーツ」という単語が流行語のようにもてはやされるようになったことなどを背景に、これらの学部は受験生や企業の人事部から一定の評価を得ている。そんな「お株が奪われている」と言ってもいいような状況の中で、ICUはどのような大学改革を行ってきただろうか。

わかりやすい例はキャンパス内の施設の建て替えだ。2010年に完成した東ヶ崎潔記念ダイアログハウスと新しい大学食堂は、教会の十字架よりも高い建造物が存在しなかったそれまでのICUの風景を一変させた。2010年、2011年に順次新設された欅寮・銀杏寮・樫寮の新3寮、そしてこの春新設された樅寮・楓寮の新々2寮は、学内の寮生の割合を大幅に押し上げるのと同時に、学生自治のもと独特の文化を築いていた旧寮の閉寮と相まって、学生コミュニティの在り方自体を変化させていくだろう。

また、入試制度からも改革の足跡がうかがえる。2015年度入試よりリベラルアーツ適正(旧一般能力考査)が廃止され、代わりに「日本語で講義を聞き、それを基に設問に答える」スタイルの総合教養(ATLAS)が導入された。

最初に述べた通り、国際性やリベラル・アーツが注目を浴びているとはいえ、ICUが置かれている状況は決して楽観できるものではない。いくらICUの教育レベルが高かろうが、他大学の同系統の学部と受験生を奪い合うこととなるのは避けられないことであり、元々ブランド力のある有名大学に新設された国際系の学部に学生を奪われてしまっていることは否定できない。また、そもそも少子化で学生自体の数が減っていく中で、これからICUを受験する学生は徐々に減っていくことは目に見えている。ICUの2017年度入試の倍率は約3倍。これは他大学と比べても、過去のICUと比べても(注1)、決して高い数値ではないだろう。

そういった状況の中で、ICUの一連の大学改革は効果を発揮しているだろうか。また、長期的に見たときに、それらは正しい戦略と言えるだろうか。私は、必ずしもそうではないと思うのだ。

 

改革は諸刃の剣

確かに、英語教育に重点を置く大学が増えていることからも明らかなように、社会全体で「グローバル人材」を求める機運は高まっている。近年のICUのパンフレットからも、大学のブランディングの点で英語教育や留学制度、学内の国際性といった要素を全面に押し出していることは客観的にも明らかだ。文字通り、”ICU”を構成する”internationality”と”christianity”のうち、広報戦略の中では前者を意図的に重要視している。そして、イメージ戦略上の話だけではなく、2015年度入試以降英語の配点が上昇したこと(注2)や、2017年度入学生から4月生の英語開講の単位に関する卒業要件が厳しくなったこと(注3)からもわかるように、ICU生に大学が求めている英語力のレベルは制度的にも上がっている。

しかし、ICUの輩出する学生が社会で一定の評価を得てきたのは、数値化された英語力の高さだけが理由ではない。一見するとICUと類似した教育を施している大学や学部が乱立している今だからこそ、ただ英語で授業をしているだけのカリキュラムとは一線を画した、タフでグローバルなICU卒業生の内面的な部分を育ててきたICUの教育の源泉を再確認すべきだと感じている。私が危機感を抱いているのは、そういった数値化しづらい部分が、大学として表面的に洗練されていく中で失われていってしまうのではないかということ、そして、安易に英語重視のブランディング戦略を進めた結果、二番煎じであるはずの国際教養系の学部の背中を追う羽目になってしまうのではないかということである。

 

キーワードは「対話」

では、具体的にどのような要素がグローバルに活躍するICU卒業生を育成してきたのだろうか。これはあくまで私個人の見解ではあるが、ひとつのキーワードは「対話」だと思う。個々の授業の中でここまで学生の意見が求められる大学、授業に限らず、積極的に意見を出し合い議論をする文化の根付いた大学は日本にはあまりないのではないだろうか。 そしてそれは、リトリートやオープンハウスなどのICU独自の伝統的なイベント、ELAを始めとしたアクティブ・ラーニング型の授業が対話の場として機能してきたことが大きな理由として存在すると考える。だが、ダイアログ・ハウスという「対話」の名を冠する建物ができる一方、オープンハウスを行う教授は減っているし、オフィスアワーに教授の下を訪れる学生の数もそこまで多いとは言えない。問題意識を持つべきは、建物の老朽化よりも、わかりやすい就職実績よりも、こういった見えづらく、言語化しづらい部分の喪失ではないだろうか。

 

これからの時代、ICUは苦境に立たされることになるだろう。そうした中で、ICUが培ってきた「数値化できない良さ」が失われてしまわないことを切に願う。それは、激しい競争原理にさらされる中で、ブランド力のある他大学の中でICUが存在感を発揮し続けるために最も重要なことではないかと思うのだ。

 

注1:http://icu.bucho.net/icu/icu_stat_04.htmlを参照

注2:2015年度より人文科学・社会科学が統一され、全配点の内の英語の配点が占める割合が増えた

注3:2017年度入学生より、4月入学生の卒業に必要な英語開講の単位数が9単位から18単位へ変更された