人権セミナー 社会における共生とは

2017年度12月9日(金)のコンボケーションアワーにおいて、第20回人権セミナーが開催された。講義と質疑応答形式のセミナーで、学生と教職員が、二羽泰子さん(ICU卒業生で全盲、日本点字図書館やJICAに勤務)の講演を聴き、その後質疑応答の時間がとられた。ICUには様々な背景を持つ学生が集まっているが、文化の多様性だけではなく、身体的な能力の差異にも目を向けなければならないことを感じたセミナーだった。二羽さんはご自身の経験を中心にお話しをされて、質問にも明確なお答えを示されていた。

二羽さんは小中高と特別支援学校に通っていたが、そこでは同じ学年に学生が少なく、先生が多い状況で同学年の子供たちと楽しく遊んだりすることはできなかった。近くの学校の人たちと交流しようといういった趣旨のイベントもあったが、参加をしても「檻の中の動物をみるかのような目」で見られたり、「かわいそうなのにがんばっているんだね」というようなイメージを持たれているような印象を受け、だんだんと理由をつけて交流会を欠席するようになっていったという。
特別支援学校を卒業後、大学受験を決意するものの、「点字での受験を認めてくれる大学が少ない」という状況に二羽さんは直面した。ある大学に受験のお願いに行った際、「平等精神をモットーにしているし、あなた一人のために大学をやっているわけじゃないので、ああしてこうしてという要求するのはやめてほしい」といった趣旨の言葉を職員からぶつけられたこともあったそうだ。
二羽さんは、マーサ・ミノウの「差異のジレンマ」の概念を引用し、こうした状況の問題点を指摘した。「差異を無視して同じように振る舞っても、支援を求めてもスティグマは強化され、不平等は解消されない」という問題である。
ICUに入学後も、ELP(英語教育プログラム)で所属していた「C」(帰国子女などが入るクラス)で、二羽さん一人で英語の大量の課題を終わらせられず、このジレンマを解消する術が見つからなかったため、5月末や6月ごろには大学をやめようと考え始めた。20ページほどの点訳されたテキストを受け取るものの、実際に課されたリーディングの量は100ページほどで、ディスカッションにもついていけなくなったが、ELPの先生からは「授業中におとなしくしていたら意味がない」、「やる気あるんですか」と怒られたそうだ。
だが、友人に悩みを打ち明けると彼らから助けられ、大学生活を続けられるようになったという。「同時に友人があまりにもいい人すぎる気がして、いつか『もうあなたといるのに疲れた』と離れてしまうのではないかと不安だった」と二羽さんは語る。本館前芝生広場でセクメたちが勉強会を開いてくれたり、ボキャブラリーテストのために100ページのリーディングを10人で分担して勉強を手伝ってくれたりしたおかげで、ELPもついていけるようになった。そして、友人の支えを受けるうちに、大学をやめるということは考えなくなったそうだ。そうした経験を通し、二羽さんは「共に学び共に生きていくこととは何か分かった気がした」と言う。

教育実習もインターンも留学もしたい、大学生活で出来ることはなんでもやりたい、とあくまで夢、具体的には考えていない希望として話したつもりが、友人たちからは「え、やろうよ」と言われ、二羽さんは「でも私が行くっていったら、結構周りの人が大変って言うんじゃないかなー?」と答えた。すると友人は、「なんで? やりたいことに反対する人がいたらそっちのほうがおかしいよ!」と言ったそうだ。二羽さんは、友人に背中を押してもらったからこそできたことがたくさんあったし、必ず周りの人に支えてもらってきた、と述べて「友達にとって私はいち障害者ではなく親しい友人の一人だったし、支えてくださった職員の方にとって私はただの障害者でなく学びを志す学生の一人だった」と語った。そのときジレンマは感じず、「差異のジレンマを乗り越える」ということができていたと感じたそうだ。「差異のある人々をめぐる問題がその差異にあると思っているうちは、差異のジレンマはなくならない。私たちがその問題を自分たちの問題と考えたとき、共生できる可能性は生まれてくる」と二羽さんはおっしゃっていた。
また、障害者差別解消法(合理的配慮の提供を拒むことも含め、障害をめぐるあらゆる差別を禁止する法)にも触れ、法律だけでなんとかできるならいいが、それだけでは解決しないことも指摘した。「個別の支援:しばしば通常の運営とは別枠で、障害者に対して特別な支援を提供すること」「合理的配慮(Reasonable Accomodation):障害者のニーズに応じて、必要な変更を加え、現実的で適切な環境を模索すること」(講演で使用されたスライドより引用)の2つがあるが、二羽さんは合理的配慮(Reasonable Accomodation)が大事だと述べる。これは「差異を乗り越えるために必要な変更をして、共に生きていけるように模索していこう」という考え方で、他の人たちも一緒になって解決していくことで、共生がより進むのではないだろうか、と述べた。

また、二羽さんが1年間いたキルギス共和国(以下キルギス)での経験から考えたこともお話ししてくださった。旧ソビエト連邦下のキルギスでは、障害者がうまれると、親と切り離され、地図にも載っていなかった高い塀に囲まれた施設に送られるという。彼らは施設で一生を終えるのが当然で、その施設は刑務所よりもひどいところだったそうだ。そういうわけで町の人たちは障害者というものを見たことがないため、まるで宇宙人と出会ったかのように障害者を見るようなところだった、と語る。キルギスは「国が国の責任で障害者を保護し、支援を提供した結果としての究極の形」(講演で使用されたスライドより引用)で、障害者を施設に入れた結果、共生という方向からは逆方向に行ってしまった社会だったそうだ。
もし私たちがともに共生を選択し、その過程で生じる問題を自らの問題と思って取り組めるなら、ともに学びともに生きる社会はそう遠くないのではないか。「居場所がない、自分ってここにいていいのかな」といった不安は障害者だけじゃなくてみんな抱えているし、全員の問題として考えていこう、という言葉で講演は締めくくられた。

初めて人権セミナーに参加した筆者は、教職員と学生が肩を並べて講演を聴き、同じ立場で講演をしてくださった二羽さんに質問をしているというのは、とても貴重な機会のように思われた。しかし、学生の姿もちらほら見えたものの、やはり参加者の多数は教職員であったように思われた。このような機会はなかなかないと思われるので、学生の方にはぜひ一度参加をしてみてほしい。

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