大学生と介護 PARTⅡ
―介護の本当の苦しみとは―

 

▼大学生と介護 PARTⅠ
―大学生の私が祖父を「介護」していると、周囲にはっきりと言えない理由― はこちら

 

――過去と現在

 祖父の粗相の後処理を何とか全て終え、部屋に戻ってパソコンを開くと、既に授業は終わっている。受けるべき授業を受けられなかった罪悪感に苛まれてしまう。肩を落としているのも束の間、また祖父が何事も無かったかのように部屋にやってくる。「雨なのに洗濯物を取り込まないなんて気が利かないなあ。取り込んでおけ」。そういうとき、私は感情をどこに吐き出して良いのか分からない。湧き上がる思いを抑え込むことしかできない。

 祖父に悪気はないことはわかっている。おそらく祖父の認識では、私は中高生くらいなのだ。それゆえ、私が祖父を介助していたとしても、祖父は自分が私の面倒を見てやらなくてはならないと思い込んでいる。祖父の中で過去と現在が混交し始めている。

 このために、祖父の勘違いに振り回されてしまったことも何回かあった。例えば先日、祖父はテレビのリモコンがないと騒いでいた。祖父の目の前に置いてあったリモコンを祖父に渡すと、「それじゃなくて、もう一本のリモコンが見つからない」と言うのだ。その後、私は部屋中を捜索する羽目になった。結局、祖父の探している「もう一つのリモコン」を見つけることはできなかった。

 数日後、また同じような出来事が起こった。祖父の通うデイサービスから電話があり、祖父が「鍵がない」と騒いでいるとのことだった。帰宅しきた祖父のバックを確認すると、いつもの通り、一つの鍵が入っていた。だが祖父は、「もう一つの鍵が見つからない」と嘆くばかりだった。

 祖父は過去にあった所有物と現在のそれとを混同し、それらが同時に存在していると認識してしまっている。はじめからもう一つのリモコンや鍵など存在していなかった。私は、存在するはずのない「過去」のものを一生懸命探していたのである。

 

――「自宅は何階?」

 祖父の時間感覚の欠如の症状は、私の想像を超えて進行していた。午後5時を午前5時と勘違いしたり、デイサービスのない日であるにもかかわらず、早めに起きて着替えなどの準備をしようとしていたりと、曜日や時間の感覚すらもほとんど無くなってしまっている。私たち家族はその度に、今日は何曜日か、今は何時かをしっかりと教えてあげる必要がある。

 そのような認知機能の低下は、深刻な物忘れの症状をも引き起こしている。祖父がデイサービスから自宅に戻るとき、今までは家の前まで車で送迎してもらってから、自分でマンションのエレベーターに乗って、我が家のある4階までたどり着くことができていた。しかし先日、いつものように4階のエレベーター乗り場の前で祖父を待っていたのだが、一向に祖父はやってこなかった。4階からマンションのエントランスや、エレベータ―付近を見下ろしてみても祖父の姿はない。寒空の中20~30分くらい待っていたところ、やっと祖父がやってきた。事情を聞けば、自宅が4階にあるということを忘れてしまい、6階に行ってしまったという。「家はこの階だよ。4階だよ」と教えると、「4階……? どういう意味……?」といまいち理解できていない様子だった。ついに祖父は、家が何階にあるのか分からなくなってしまったらしい。

 加えて、上記のやりとりから分かるように、言葉を理解したり、自分の考えを言葉で伝たりする能力も著しく落ちてきている。これにより、会話が成立しなくなったり、突拍子のないことをいうことも増えてきた。話していても、たまに祖父の思いを汲み取れないときがあり、私も祖父もお互いにとても苦しい思いをしている。

 認知機能や言語能力などの低下とは、これからも我慢して付き合っていくしかないのだろう。今後、より深刻な症状が出てくることも、私(たち家族)は覚悟しなくてはならない。ただそうなったとき、祖父とどのように関わっていくべきなのか。祖父の気持ちをどのように理解していけば良いのか。私の中で答えはまだ見つかりそうもない。

 

――母の負担

 祖父の様々な症状への対処だけでなく、体力を要する介助も当然ながら必要となる。祖父はよく、ベットに仰向けで寝ていた際に起き上がれなくなってしまったり、転んだときや湯舟につかったときに立ち上がれなくなってしまったりする。また、歩くときにも補助が必要なため、基本的に家では家族の力を借りなければならない。しかし、既述の通り、これらの補助には技術が要る場合も多く、介護である素人の私にはあまり上手くできないこともある。

 幸いにも、母は介護ヘルパーの資格を持っていて、その手の技術がある。そのため、最近では祖父も困ったときに母に助けを求めるようになった。だが、母はスーパーでパートを週4~5日していて、家に不在の時の方が多い。そのため、仕事から疲れて帰ってきた直後に祖父の世話をしたり、休みの日も祖父の部屋の掃除や病院への付き添いなどをしたりで、祖父のためにほとんどの時間を費やさなければならい。そんな生活に母も不安を隠せないようで、最近は自分の時間がとれないとよく嘆いている。もし、大学の対面授業が再開してしまったら、私は家にいられなくなってしまう。そうなれば、母の負担はますます増え、パートも続けられるかどうか分からなくなる。ただ、パートを辞めてしまえば、祖父の介護に時間を充てられる分、我が家の収入は大きく減ることになってしまう。母はそのジレンマに悩み続けている。

 私はそんな母の様子を間近で見続け、何か力になれないかと模索し続けている。アルバイトのシフトも、母のパートのない日に入り、祖父が一人になってしまうときは、たとえオンライン授業の合間の短い休憩時間であっても、息抜きとして散歩にでかけたりすることすら避けるように努めてきた。また、学費も日本学生支援機構からの第一種・第二種の奨学金を私名義で借り、家族に学費負担が回らないようにした。

母の負担を増やさないよう、できる限りの調整をした結果、私の個人的な収入は減少してしまい、周囲との関わりも以前に比べて減ってしまった。しかし、祖父のためにいくら時間を作ろうとしても、自分ができることに限界を感じてしまうことが多く、日常的に無力感に苛まれてしまう。我が家がこれだけ様々な問題に直面しているにもかかわらず、祖父はまだ「要介護1」に該当するにすぎない。それゆえ、「介護」と「お世話」の狭間のグレーゾーンにいる私たち家族の闘いは、ひょっとするとまだ始まってすらおらず、本当の苦しみはこの先に待ち受けているのかもしれない。

 

――誰もが当事者

 ここまでいくつかのエピソードを紹介してきたが、これらは私が体験してきたことのほんの一部分に過ぎない。祖父を家に一人にさせないために、そして母の負担を増やさないために、友人との関わりもできるだけ制限してきたし、所属していたほとんどのコミュニティからも離れた。気づけば、私に残ったものは症状が悪化していく祖父との毎日だけだった。

 正直、このような話をしても周りからはほとんど共感が得られない。恐らく、大学生にとって、介護の問題というのはあまり身近ではないのだと思う。しかし、いつかは誰もが当事者になり得る問題であり、それは様々な痛みを伴う。介護そのものの大変さはもちろん、家族間の不和や交友関係への影響など、その苦しみは計り知れないものがある。

 だからこそ、ある日突然、あなたの日常を大切な人の介護に捧げざるを得なくなったとき、絶対にその苦しみを一人で抱えないでほしい。地域のケアマネージャーやデイサービスなど、助けを求める場所はいくらでもある。少し酷かもしれないが、周囲が元気である今のうちに、あなたのために、そしてあなたの大切な人の命ために、いつか来るそのときに備えてしっかりと準備を進めておくことをお勧めする。

 最後に、この記事を通して、少しでも多くの方に介護について考えるきっかけを提供できたのであれば幸いだ。【うじ】

 

※この記事は昨年末に執筆したものであり、現在と比べて状況の深刻度合いは軽い。この後に体験したエピソードについても、いつか共有できればと考えている。