【特集:C-Week】北中牧師に聞く、C-Weekの魅力 <前編>

 

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“labyrinth”by Steve Johnson is licensed under CC BY 2.0

ICUでは毎年恒例のC-Weekが5月16日から始まる。キリスト教について考える期間として様々な企画が用意されているが、その舞台裏には何があるのだろうか。宗務部の北中晶子さんにお話を伺った。

(※インタビューは再構成済み)

――まず始めに、C-Weekのコンセプトを教えてください。

C-Weekには毎年違うテーマが設定されていて、今年のテーマは“Who are you?”です。C-Weekというのはキリスト教を全面に押し出す期間なんですね。普段の学生生活ではICU生でもキリスト教にまったく触れずに過ごすこともできます。入学から卒業まで、キリスト教を素通りできてしまうんです。C-Weekは、それほど頑張らなくてもキリスト教に好きなだけ触れることができるように特別に設けられた1週間です。

今年のテーマは、「人間とは何者か」という問いを考えるために設定されました。これは、傍観者として「人間ってこういう存在でしょ」という批評をするのではなく、学生自身が当事者として考えて欲しいという思いを込めています。いろいろな角度から、広いアプローチでつつけると思うんですね。キリスト教的に考えるとこうだ、というのもありますし、一辺倒の答えだけではないと思います。
――特別キリスト教概論では、様々な専門の先生が担当されていますが、どういった経緯でこの先生方に決まったのですか。

いい質問ですね。そもそもC-Weekというのは、ICUが建学されてから10年以内に始まった行事で、学生の「やりたい」という声がきっかけで、全学的な行事となりました。最初の名前は「宗教強調週間」でした。授業時間まで変更している大きな行事ですが、基本のスタンスは変わりません。学生の「やってみたい」という声を非常に大事にしていて、この特別キリスト教概論はまさにそうです。

たとえば、「ICUの専任の先生は全員クリスチャンと聞いているけれど、果たしてあの先生は本当にクリスチャンなのか?」というような疑問もありますよね。先生方のクリスチャンとしての一面を知ることってなかなか無いと思うんですけど、C-Weekでの企画をお願いすればそういった面を見ることもできます。そういうことを知りたいという学生の希望から出てきた企画です。
――今年の特別キリスト教概論の先生も学生が選んだのですか?

そうですね。今年の担当は、生物学の小瀬博之先生、歴史学のロバート・エスキルドセン先生、教育学の西村幹子先生です。それぞれC-Week実行委員会の学生で話しあって決めたんですが、選んだ理由はバラバラです。たとえば小瀬先生は、去年のチャペルアワーでお話ししてくださったときに、激アツのメッセージを語ってくださったんですね。そこで先生が一生懸命話していたのを実行委員会の学生が覚えていて、その熱いメッセージをぜひC-Weekで、ということでお願いしました。

エスキルドセン先生は、英語での講義を担当していただく先生を探しているとき、「そういえばエスキルドセン先生って本当にクリスチャンなの?」と普段の先生の飄々とした様子から不思議に思う声や、「エスキルドセン先生の授業がおもしろいから、先生のキリスト教概論も聞いてみたい」という声があがったので、お願いすることになりました。

西村先生は、宗務委員という、簡単に言うと学内のキリスト教活動を見守る委員をやっていらっしゃって、候補に挙がりました。先生のご専門の分野に何かキリスト教が繋がっているのか、逆に何も繋がらないのか、その辺をうかがってみたいということでお願いしました。そうしたらですね、くださった講義のタイトルが「アフリカで考える人間のあり方」で、もうズバリ専門と信仰をつなげてくださっていて……期待が高まりますね。どの先生の講義も本当に面白いと思います。
――特別礼拝は、普段の礼拝と何が違うんでしょうか。

まず長さが違います。普段の礼拝は30分だけなんですが、そうすると、メッセージをうかがう時間は大体10分程度しかありません。でも、特別礼拝は最低でも1時間はやりますので、メッセージも40〜50分になります。この特別礼拝では時間が長くなっているので、外部の方を呼びやすいんです。

今回は久々に牧師さんをお呼びしています。平良愛香さんという牧師さんです。この方は、所属する教団のなかで初めて自分が同性愛者であることをカミングアウトした牧師さんです。自分とは何者なのかを考えるうえで、自分の選択が欠かせないということを体現してくださっているので、テーマにぴったりですね。ロンフォーにも重ならないようにしたので、ぜひ気軽に参加してください。おすすめです。
――「ラビリンス」とはなんでしょうか。毎年行っている理由も気になります。

ごもっともな質問ですね。まずはラビリンスとは何かということをご説明しましょうか。ラビリンスとは、迷路に見えるんですけど、実は一本道がくねくねしているだけの丸い図式です。これは中世ヨーロッパで巡礼が流行ったときに、巡礼に行きたくても行けないキリスト教徒のために作られた瞑想のための道具です。どうするかというと、図式の上を自分の足で使って実際に歩くんですが、一本道で迷わないはずなのに思わぬところに曲がり角があったり、また同じところに戻って来たような気がしたり……そんな中で巡礼者のように祈る。そういうものです。

じゃあどうしてICUでこのラビリンスをやるかというと、実はお隣のルーテル学院大学の神学の先生がラビリンスのマットを所有されていて、それがフランスのシャルトル大聖堂の床に描かれているラビリンスのほぼ原寸大のものなんです。そんな大きいマットを広げられる場所は普通なら体育館とかそれくらいなんですよ。でもICUの礼拝堂は椅子が稼動式なので、そのマットを広げられることができます。せっかく貴重なものなので年に一度広げようというのがきっかけです。もう10年以上続いています。毎年やっている理由は、人気があるからです。のべ人数で毎年100人以上来るんですよ。どうしても大学では講義が多いので、自分の足を使う体験型の企画というのも人気の理由の一つかもしれません。
――今年も映画が上映されますが、どうやって選んでいますか。

せっかくのC-Weekなので、普段は自分で映画館に行って観ないようなものを選んでいます。人気がない映画ということではなくても、興味は持ってもなかなか自分から観る機会がないような映画もありますよね。皆さんがその映画を観て、いろいろ考える材料になるような映画を選んでいます。今年はC-Week期間中に「ネフィリアス」を上映します。「ネフィリアス」は人身売買の実態を追っていく重い内容で、なかなかスポットライトを浴びない、だけどずっと起こっていて、もっと光を当てるべき問題に焦点を絞った映画です。

C-Weekはキリスト教についてたくさん考えて欲しい期間なんですが、逆に非宗教的に考えるとどういう生き方があるのか、そこにも興味があると思います。でも、キリスト教の信仰に基づいて生きていると言いながら、命の尊厳を無視したり人の尊厳を踏みにじるようなことはできるのか、ということだったり、やっている人たちに非難の目を向けることは簡単でも、そういうことが世の中で起こっていることを知りながら平然と暮らしている自分たちは何者なのか、ということだったり。立ち止まって時間を割いて、そういうことを考える必要があると思います。
内容自体は宗教色が薄い映画ですが、C-Weekで扱うにふさわしいと思い、学生の発案を歓迎しました。

<後編>につづく

 

※この記事は2016年5月12日発行のThe Weekly GIANTS No.1162号からの転載です。